抄録
【はじめに】 小脳性運動失調に対する介入として、重錘負荷法・弾性緊縛帯等が知られている。また、重度失調例に対しては歩行器等の補助具を利用した立位・歩行練習が勧められている。一方で、安定性確保のため歩行器を使用し上肢に依存することは、立位保持に重要な下肢由来の感覚入力を減少させている可能性があるとも考えられる。また、小脳脚損傷を伴う場合、興奮の伝導過程において小脳脚を通過する電気的信号の漸減が予測されるため、小脳脚を通る情報の絶対量を増加させることが運動療法の戦略として効果的である可能性がある。つまり、歩行器等の外部環境に頼った練習だけでなく、不安定ながらも自らの足でバランスを制御する練習も重要であると考えた。本研究の目的は、小脳脚まで損傷が及んだ小脳出血症例のバランス能力向上に際し、歩行器使用条件と未使用条件のどちらの歩行練習がより有効かを判断することである。【症例紹介】 小脳出血を発症し137病日が経過した60代女性。CTより小脳半球部に加え小脳脚にも損傷を認めた。左上肢に軽度の運動麻痺、右上下肢に軽度の失調、左上下肢・体幹に中等度の失調を認めた。両下肢筋力はMMTにて4。上肢支持なしでの立位保持時間は2秒程度であり、歩行は2人介助を要していた。ADLはm-FIMで一部~全介助を要し、移動は車椅子を使用。認知機能は保たれていたが、構音障害・注意障害・感情失禁を認めた。 研究方法はABABデザインを用い、Aを歩行器使用条件・Bを歩行器未使用条件と設定し歩行練習を実施した。A期では介助者が歩行器を固定し「歩行器をしっかりつかんでください」と言語指示を与え実施した。B期では大きなバランスの崩れのみ介助者が修正を行い、「自分の足でバランスをとりましょう」と言語指示を与え実施した。各介入期間の設定はA期を第137~141病日の5セッション、B期を第145~151病日の6セッション、Á期を第152~158病日の5セッション、B´期を第162~172病日の8セッションとした。各期ともに週5回の歩行練習を実施し、歩行距離は本人の主観的疲労度に合わせて調整した。効果判定には立位保持時間を使用した。足底間を肩幅に広げた開脚立位にて、手を平行棒より離した瞬間から身体が他の部分に接するまでの時間を計測した。計測は1日3回行いその平均値を使用した。その後、最小二乗法に従いデータをグラフ化し、各期のslopeを算出して比較した。【説明と同意】 本研究にあたり当院倫理委員会の承認を得た。また、対象者には研究内容について十分に説明した後、同意書に署名を得た。【経過】 A期の立位保持時間は2秒前後で推移したが(slope=-0.12)、B期において保持時間が4.7秒まで延長した(slope=0.48)。その後Á期でのslopeは緩やかになったが保持時間は延長傾向を示した(slope=0.28)。B´期も同様に推移し(slope=0.22)、保持時間は9秒前後と延長した。全体を通してA期からB期でのslopeの変化が最も大きかった。【考察】 本症例は小脳皮質に加えて小脳脚まで障害されていたため、通常より末梢からの情報が小脳へ伝導されにくい状況であったと考えられる。そこで歩行器に頼らない歩行練習を行ったことで、下肢の筋活動が増加し、それに伴い下肢由来の求心性インパルスも増加したと推察される。その結果、より多くの興奮が小脳へ伝導され、フィードバックの絶対量が増加し、小脳皮質が関与する運動学習が促進されたことで、B期における立位保持時間の延長につながったのではないかと考えた。しかし、Á期では歩行器使用条件にも関わらず立位保持時間が延長した。これは、条件を歩行器の有無で変更したが、B期の言語指示による影響がÁ期においても持続していたためであると考えた。つまり、自分の足でバランスをとるという意識付けが持続されていたことで歩行器使用条件においても立位保持時間の延長がみられたと考えた。 本症例においては歩行器未使用条件での歩行練習が立位保持能力向上において有効であった可能性が示唆された。しかし、今後導入する際には、歩行時の筋活動増加が予測されるため耐久性が必要になること、また不安定さが増すため失敗経験として捉えられてしまう危険性があることを理解し、総合的に介入方法を決定する必要がある。【理学療法学研究としての意義】 小脳脚損傷例の立位バランス能力に介入する際、歩行器を使用しない歩行練習、および自らの足でバランスを保つという意識付けが重要である可能性が示唆された。