抄録
【はじめに、目的】 局所浸潤性膀胱がんの標準治療は根治性膀胱全摘出術であるが、膀胱温存を目的とした治療法のひとつにシスプラチンを用いたバルーン塞栓動脈内抗がん剤投与法(BOAI)がある。この治療法では約10%に末梢神経障害が合併することが報告されている。この神経障害は高濃度抗がん剤投与の結果生じる仙骨神経叢障害による単下肢麻痺であり、不可逆的な場合もあるが、これまでBOAIによる仙骨神経叢障害に対する理学療法についての報告はない。今回、BOAIにより神経障害を発症したが、ロフストランド杖と油圧緩衝器付短下肢装具(Gait Solution:GS)を併用することで自立歩行を獲得できた症例を経験したので、仙骨神経叢障害による下肢機能障害に対するGSの有用性を明らかにするために歩行解析を行ったので報告する。【症例】 症例は膀胱がんに対してBOAIと放射線療法が行われた64歳の男性である。BOAIを実施3日目に右下肢のしびれと筋力低下が出現し、歩行困難となったため理学療法を開始した。初診時の徒手筋力検査で左下肢は5であったが、右股関節は屈曲3、伸展2、外転1、内転4、外旋1、内旋2、右膝関節は屈曲2、伸展5、足関節は背屈0、底屈2-であった。深部感覚は右足関節以遠で脱失、右下腿および大腿後面で鈍麻していた。運動神経伝導検査では右腓骨神経刺激で筋電位が誘発されず、右脛骨神経刺激では振幅の低下を認めた。針筋電図では右前脛骨筋、腓腹筋、大殿筋、中殿筋、ハムストリングスの神経原性変化を認め、上殿神経、下殿神経、脛骨神経、腓骨神経が障害された右仙骨神経叢障害と診断された。理学療法開始後も右下肢筋力の改善はなく、遊脚相では足部が下垂し、立脚相では足部が内反・底屈位で接地するため反張膝を認めた。さらに、股関節周囲筋の筋力低下により右立脚相の不安定性を認めたので、歩容の改善と支持性の向上を目的にロフストランド杖とGSを処方した。足関節には背屈角度をつけGSの底屈制動力は4段階のうち3.5と強めに設定することで、踵接地後の下腿前傾が強制され膝関節屈曲を誘導することができた。右大腿四頭筋筋力は維持されていたので膝関節の制御は可能であり、歩行は安定し10m歩行時間は8.79秒であった。歩行解析には3次元動作解析装置、床反力計を用いて、左右の立脚時間、立脚相における関節角度(股関節屈曲伸展と内外転、膝関節屈曲伸展)、上下および側方の身体重心(CoG)移動距離、床反力(立脚前半、後半の鉛直成分および内方成分)の最大値とその時期(%立脚相)を求めた。なお、数回の歩行練習後に2回測定し平均値を算出した。【倫理的配慮、説明と同意】 症例には症例報告の主旨を文書及び口頭で説明し、文書で同意を得た。【結果】 初期接地では右股関節は外転しており、立脚終期では股関節の完全伸展は認めなかった。右膝関節は7.5°屈曲位で接地し、そのまま前遊脚期へと移行していた。CoGの上下移動距離は右28.3mm、左34.9mm、側方移動距離は右18.5mm、左30.8mmと右側の移動が少なかった。床反力(%BW)鉛直成分前半の最大値は右87.5、左109.9、後半の最大値は右78.6、左104.4、内方成分の最大値は右9.21、左6.12であり、右側で減少していた。%立脚相では床反力鉛直成分前半の最大値は右28.5%、左15.9%、後半の最大値は右70.2%、左74.7%、内方成分の最大値は右7.61%、左3.83%であり、右側の立脚前半では最大値に達するまでの時間が延長していた。【考察】 仙骨神経叢障害を呈した本症例ではGS装着時には右膝関節は屈曲位で初期接地し、荷重応答期以降も膝屈曲位が持続していたが、歩行解析の結果から、背屈角度をつけ底屈制動が強めに設定されたGSが下腿前傾と膝関節屈曲を誘導し、結果として大腿四頭筋の収縮を促すことにより、GSが立脚相の安定性を向上させている可能性が示された。また、床反力の解析では初期接地から荷重応答期にかけての鉛直成分が減少し、ピークまでの時間も延長していたことが示され、GS を装着することによりCoGの移動範囲が減少し体重移動が緩徐になるので歩行の安定性が向上したと考えられた。一方、初期接地では右股関節は外転位となりロフストランド杖へ荷重を移動させていたため、床反力では内方成分が増大していた。以上より、本症例に対するロフストランド杖を併用したGSの有用性が示された。【理学療法学研究としての意義】 本報告は我々が渉猟した範囲では、BOAIによる難治性神経麻痺に対する理学療法を初めて報告したものであり、今後、類似した症例の理学療法の立案に有用な情報を提供するものであると考えている。