抄録
【はじめに、目的】 近年の人工股関節全置換術(以下,THA)後のクリニカルパスでは術後早期からの歩行獲得および退院が目標とされており,当院でも術後2週間で自宅退院または転院の設定となっており,今後も在院日数は短縮すると予測される.先行研究では,THA後の早期の杖歩行獲得が在院日数短縮の要因となっていることが報告されており,また,杖歩行自立の阻害・遅延因子として痛みの有無が報告されている.一方,当院ではこれまで股関節疾患患者の痛みの発生状況について調査しており,結果として手術前後に股関節周囲のみならず膝部以下の遠隔部位にも痛みが発生することが確認できている.そして,股関節疾患術前後の痛みの程度と杖歩行獲得との関係について報告した先行研究は散見されるが,発生部位や部位の総数も含めた痛みの発生状況と杖歩行獲得との関係を調査した報告はない.そこで,本研究ではTHA後のT字杖歩行自立日数と痛みの発生状況の関係性について調査した.【方法】 対象は当院整形外科にて関節形成術を受け,理学療法(以下,PT)を行った変形性股関節症39例,大腿骨頭壊死1例の計40例(女性35例,男性5例,平均年齢62.3±10.9歳)であり,術式の内訳はTHA39例,人工股関節再置換術1例である.これら全例は術翌日より痛みに応じて全荷重を許可された症例であり,今回は術後部分荷重・免荷期間がある症例は分析対象から除外した.なお,PTの平均開始日は術後1.2±0.4日であった.調査項目は1)痛みの発生部位,2)痛みの発生部位の総数,3)痛みの発生部位の中で最も痛みが顕著であった部位 のVisual analog scale(以下,最大VAS)とし,痛みの発生部位の評価は対象者がその部位を身体図に提示した結果を用い,川田ら(2006)の報告をもとに腰部,鼠径部,臀部,大転子部,大腿前面,大腿外側,大腿内側,大腿後面,膝部以下の9箇所に分類した.なお,この評価は術前日と術後2週前後の退院直前(以下,退院時)で実施した.そして,今回の対象者の内,入院中に病棟内T字杖歩行が自立した症例は16例(40.0%)で,自立までの平均日数は8.9±3.1日であった.そこで,病棟内T字杖歩行自立までの平均日数を参考に病棟内T字杖歩行自立が術後9日以内の群(以下,早期群)11例とT字杖歩行自立が術後10日以降,または入院中に自立できなかった群(以下,遅延群)29例に分け,上記の調査項目を比較した.統計処理として,痛みの発生部位についてはカイ2乗検定を適用し,痛みの発生部位の総数および最大VASについてはMann-WhitneyのU検定を適用した.なお,有意水準はすべて5%未満とした.【倫理的配慮、説明と同意】 本研究は,長崎大学大学院医歯薬学総合研究科保健学専攻の倫理委員会で承認を受けた後,対象者に十分な説明を行い,同意を得て行った.【結果】 術前の痛みの発生部位は両群ともに鼠径部(早期群72.7%,遅延群52,7%),殿部(早期群45.5%,遅延群42.8%)に多く認められ,これらの部位については2群間で有意差は認められなかった.しかし,痛みが膝部以下に認められたのは早期群が9.1%であったのに対し,遅延群は62.1%であり,有意差を認めた(p<0.01).一方,退院時の痛みの発生部位は両群ともに転子部が最も多く(早期群72.7%,遅延群34.5%),膝部以下についても早期群が36.4%,遅延群が24.1%で有意差は認められなかった.次に,痛み発生部位の総数は,術前が早期群3.1±1.7個,遅延群3.9±3.0個,退院時が早期群2.5±1.3個,遅延群2.3±1.8個であり,術前・術後ともに有意差は認められなかった.また,最大VASは,術前が早期群61.7±16.7mm,遅延群66.9±25.8mm,退院時が早期群28.5±21.2mm,遅延群32.4±20.1mmであり,術前・術後ともに有意差は認められなかった.【考察】 今回の結果から,THA後のT字杖歩行自立が遅延する要因として,術前における膝部以下の痛み,すなわち股関節の遠隔部の痛みが関与する可能性が示唆された.先行研究では股関節疾患患者で認められる遠隔部の痛みは患部に由来した関連痛の影響が大きいとしているが,実際,遅延群の術前に高頻度で認められた膝部以下の痛みが術後の退院時では減少し,早期群と有意差を認めないことは,関連痛の影響をうかがわせる結果である.そして,関連痛の発生メカニズムの詳細は未だ明らかではないが,これは患部の状態などを反映している可能性があり,そのような意味で今回のような痛みの発生部位の評価は重要と考えられる.【理学療法学研究としての意義】 本研究を通して,THA患者の術後のT杖歩行自立が遅延する要因として膝部以下の痛みが関与する可能性が示され,この成果は股関節術後患者に評価・治療を行う際の一助になると思われる.