抄録
【はじめに、目的】超高齢社会の我が国においては、高齢者の転倒の危険性を予測すること、転倒予防のための対策を確立することは非常に重要な課題である。転倒は身体機能や認知機能、精神心理機能、環境要因などが複雑に絡み合って生じる。認知機能のなかでも注意判断能力の低下は転倒のリスクと関連が強いことが予想されるが、加齢に伴いどのような注意判断能力が低下しやすいのか、どのような注意判断能力が転倒と関連するのかについて詳細に検討した報告はみられない。そこで本研究は加齢による注意判断能力の変化、高齢者の転倒と注意判断能力との関連について明らかにすることを目的とした。【方法】対象は健常若年者23名(男性3名、女性20名、平均年齢20.5±1.6歳)および施設入所高齢者20名(男性3名、女性17名、平均年齢85.0±7.4歳)とした。なお、測定に大きな影響を及ぼすほどの重度の神経学的障害や筋骨格系障害および認知障害を有する者は対象から除外した。注意判断能力の評価にはアイタッチ(株式会社三協製)を用い、縦6個×横6個に配列された36個のボタンがランダムに点灯するのを素早く間違わずに押すという課題を端座位で1分間施行したときの正答率(誤答せずに正しくボタンを押せる率)を求めた。課題は2秒間隔の遅い速度でボタンが点灯する条件(遅い速度)、1秒間隔の速い速度でボタンが点灯する条件(速い速度)、2秒間隔の遅い速度での二重課題(両下肢で素早く開閉ステップ動作を行いながら、点灯するボタンを押す課題。以下、二重課題)の3条件で施行した。統計学的分析は若年者と高齢者の正答率をMann-Whitney検定を用いて比較検討した。また、若年者の平均値に対する高齢者の正答率の低下率を求め、多重比較検定を用いて条件間の比較を行った。さらに高齢者の過去1年間の転倒の既往歴について調査し、転倒の既往の有無で転倒群、非転倒群とに分け、2群間の正答率をMann-Whitney検定を用いて比較検討した。また転倒の有無を目的変数、各条件の正答率を説明変数としたロジスティック回帰分析を行った。【倫理的配慮、説明と同意】すべての対象者に本研究の十分な説明を行い、同意を得た。本研究は測定機関の倫理委員会の承認を得て行われた。【結果】若年者の正答率は遅い速度:99.9±0.25%、速い速度:98.7±1.24%、二重課題:100%±0%であった。高齢者では遅い速度:84.9±25.2%、速い速度:62.7±30.7%、二重課題:84.1±25.3%であった。若年者と高齢者とで正答率を比較した結果、遅い速度、速い速度、二重課題のいずれの条件の正答率においても、若年者と比較して高齢者では有意に低い値であった。若年者の平均値に対する高齢者の正答率の低下率は遅い速度15.0±25.2%、速い速度36.5±31.1%、二重課題15.9±25.3%であり、遅い速度および二重課題に比較して速い速度では有意に低下率が大きかった。高齢者の転倒群は9名、非転倒群は11名であり、2群間に年齢の有意差は認められなかった。また、Mini-Mental State Examination(MMSE) で評価した認知機能についても2群間で有意差は認められなかった。転倒群の正答率は遅い速度:68.0±32.7%、速い速度:42.5±33.4%、二重課題:65.5±31.9%であり、非転倒群の正答率は遅い速度:84.7±6.4%、速い速度:62.7±19.6%、二重課題:84.1±6.3%であった。遅い速度、速い速度、二重課題のいずれの条件の正答率においても、非転倒群と比較して転倒群では有意に低い値を示した。さらに転倒の有無を目的変数としたロジスティック回帰分析を行った結果、3条件の中で速い速度での正答率のみ有意な因子として抽出された。【考察】高齢者は若年者と比較して、いずれの条件においても正答率が有意に低く、若年者に対する高齢者の正答率の低下率は遅い速度・二重課題条件と比較して速い速度が有意に大きかった。このことから、加齢に伴い、特に瞬時の注意判断能力が低下することが示唆された。また、高齢者における転倒群は非転倒群に比べて、すべての条件において正答率が低く、ロジスティック回帰分析の結果、速い速度での正答率のみ有意であったことから、特に瞬時の注意判断能力が転倒と関連していることが示唆された。【理学療法学研究としての意義】本研究の結果、瞬時の注意判断能力は加齢による低下が著しく、高齢者の転倒とも関連していることが示唆された。本研究結果は高齢者の転倒の危険性を予測するとともに、転倒を予防するための介入方法を確立するうえでの一助になると考えられる。