抄録
【はじめに、目的】臨床的に,人工股関節全置換術(以下,THA)を施行された後にもDuchenne 跛行のような前額面上での体幹の姿勢異常が残存する症例を経験する。この原因については,手術侵襲や術前からの外転筋力ならびに可動性の低下など股関節機能の問題によるものと考えられてきた。しかし,疾患特性より長期に渡り同じ跛行を繰り返すことで,股関節のみならず体幹にも問題が生じていることが考えられる。本研究では,THA後患者の姿勢制御反応を明らかにするため,坐位で骨盤を側方傾斜させる運動を行った際の体幹の姿勢制御反応が視覚情報の有無にどのように影響されるのか,前額面での体幹側屈角度および骨盤傾斜角度により検討したので報告する。【方法】対象は,当院入院中の初回THA後患者15 名とした(平均年齢63.0±8.7 歳,平均罹患期間6.2±6.2年)。患側と健側を比較するため全て片側症例とし,体幹の最大側屈角度が20°未満の者,Cobb 角10°以上の側弯がある者,脊椎疾患や神経筋疾患等を有する者,疼痛等により測定が困難な者は対象から除外した。方法は,水平座面上に端坐位をとり,足底非接地,骨盤直立位で反対側臀部を挙上させ骨盤を側方傾斜させる運動(以下,傾斜運動)を行い保持した際の体幹側屈角度を計測した。測定はまず閉眼で行い,次に開眼で姿勢鏡を前にした状態で実施した。運動は,まずどのような運動か確認させた後各1 回ずつ実施した。体幹側屈角度を計測するために第7 頸椎(以下,C7),第12 胸椎(以下,Th12),第5 腰椎(以下,L5)の棘突起および左右上後腸骨棘(以下,PSIS)にマーカーを貼付し,被験者の後方より安静時および動作完了時の静止画を撮影して画像解析ソフト(ImageJ1.39u,NIH)にて側屈角度を計測した。なお,側屈角度はマーカーC7,Th12,L5 がなす角を胸部側屈角度(以下,胸部)とし,左右PSISを結んだ線分に対するTh12 とL5 を結んだ線分のなす角を腰部側屈角度(以下,腰部)とした。更に,左右PSISを結んだ線分の傾きを骨盤傾斜角度(以下,骨盤),胸部と腰部の合計を体幹側屈角度(以下,体幹)とした。体幹の側屈方向については立ち直りの観点より運動方向への側屈を-,反対側への側屈を+と定義し,骨盤傾斜においては+表記とした。また,全ての項目はそれぞれ安静時からの変化量で表した。統計処理は,傾斜運動時における胸部,腰部,体幹の側屈角度,骨盤の傾斜角度の平均値を患側と健側および視覚情報の有無により比較した。差の検定には対応のあるt 検定を用い,有意水準は5%とした。【倫理的配慮、説明と同意】各対象者には本研究の趣旨ならびに目的を詳細に説明し,研究への参加に対する同意を得て実施した。【結果】視覚情報がない場合における各角度は,患側が骨盤14.9±5.9°,腰部-6.0±4.1°,胸部2.2±7.3°,体幹-2.9±7.1°となった。健側は骨盤18.2±4.7°,腰部-3.0±4.3°,胸部8.9±6.4°,体幹6.0±5.8°となった。視覚情報がある場合における各角度は,患側が骨盤14.2±5.5°,腰部-6.0±5.0°,胸部5.3±7.1°,体幹-0.6±6.5°となった。健側は骨盤16.9±5.6°,腰部-2.9±5.5°,胸部8.5±7.3°,体幹5.6±5.9°となった。視覚情報の有無に関わらず,全ての項目において患側が健側よりも有意に小さかった(p<0.05)。また,視覚情報の有無による検討においては患側では視覚情報がある場合が,ない場合より胸部ならびに体幹の側屈角度が有意に大きく(p<0.05),健側では有意差を認めなかった。【考察】今回,端坐位で患者自身に傾斜運動を行なわせた際の体幹の反応として,視覚情報の有無に関わらず患側は全ての分節において角度が健側に比べ小さかった。これは,立ち直りの不十分さを示している。この原因としては腰部の可動性低下や筋の協調性低下などが考えられる。更に,視覚情報の有無による検討では,健側では有意な差が認められなかったのに対し,患側では胸部および体幹の側屈角度において視覚情報がある場合に有意に大きくなった。これは,視覚的フィードバックがなされ胸部の代償によって立ち直りが向上したことを表しており,胸部での代償は腰部に比べ比較的可動性や筋の協調性が保たれていた可能性が示唆された。視覚情報の有無によって結果が異なった原因としては,長期的に反復された異常姿勢が再学習されたことで体性感覚に歪みが生じ,それに対し視覚的フィードバックによる修正がなされ,胸部での代償を余儀なくされるといった特徴的な姿勢制御反応が存在している可能性が考えられた。今回の結果から,術前より長期的に異常姿勢を繰り返してきたTHA後患者は体性感覚の異常が生じており,体幹の姿勢制御に関する運動戦略の変容を来していることが明らかとなった。【理学療法学研究としての意義】THA後患者の跛行や姿勢異常には様々な要因があると考えられ,股関節機能のみでなく総合的アプローチが必要であり,体幹機能について評価・研究する事は重要である。