抄録
【はじめに、目的】急速な高齢化が進む現在,転倒は要介護者を増加させる要因として,注目されている.転倒に関連した歩行能力の研究では,主に歩行開始時や歩行中,方向転換時を対象としたものが取り上げられてきた.しかし,実際には,段差につまずいた,床で滑った,などの外的要因に対する反応が原因で転倒が発生する場合が多い.このような場合には,刺激に対する歩行停止能力が問題になると考えられる.歩行急停止に関する報告では快適歩行速度時に関するものが多く,歩行速度を変えた研究は散見される程度である.特に,下肢関節運動に注目し停止に至るメカニズムについて検討した報告は殆ど見当たらない.本研究では歩行急停止動作時の下肢の運動学・力学的特徴を明らかにすることならびに歩行速度が停止時の下肢の運動学・力学的因子に及ぼす影響を明らかにすることを目的とした.【方法】対象は健常成人男性10 名(年齢21.4 ± 0.5 歳)である.各被験者に三次元動作解析装置(VICON MX)および床反力計(Kistler社)が設置された歩行路上を3 条件の歩行速度で歩かせ,歩行路前方のスクリーンに映し出された停止刺激により,できるだけ速い停止動作を行わせた.歩行速度は,本実験前に測定した快適歩行時の歩行率を基準とし,メトロノームに合わせて 100%(Stop100),120%(Stop120),150%(Stop150)の歩行率で歩行した時の速度とした.試行の順序はランダムに行い,比較のために快適歩行のデータも採取した.停止刺激には被験者の右踵に貼付したフットスイッチの波形を使用した.フットスイッチを手動にて任意にON/OFFできる装置を作製し,配線に組み込んだ.この装置がONかつ右踵接地時にスクリーン上に停止刺激が出現するように設定した.急停止試行は各速度10 試行ずつ行い,4 試行では刺激なし,6 試行にて停止刺激を出した.そのうち3 試行は測定する床反力計以外の接地時に刺激を出すことで,被験者による刺激出現に対する予測回避を図った.試行前に十分に練習を行い,被験者には停止刺激出現後できるだけ速く停止し,その姿勢を3 秒間保持するよう指示した.三次元動作解析のマーカーセットにはPlug in gait 全身モデルを使用した.サンプリング周波数は三次元計測では50Hz,床反力計では1000Hzで取り込んだ.解析は,停止刺激出現後の右立脚期における下肢関節角度,モーメント,床反力について,速度を変えた3 条件で比較するとともに,快適歩行時とその速度における急停止時の2 条件間での比較を行った.統計処理は,歩行速度による比較を,3 条件間における各パラメータの2 回の平均値を用いて,反復測定分散分析及び多重比較を行った.快適歩行時と急停止動作の比較では,対応のある t 検定またはWilcoxon符号付順位検定を行った.有意水準は5%とした.【倫理的配慮、説明と同意】対象者には研究の目的,内容と実験方法,個人情報の保護について十分に説明を行い,書面にて同意を得た.【結果】床反力について快適歩行時とStop100 を比較すると,Stop100 において後方分力は有意に増加し,前方分力は有意に減少した.垂直分力に関しては立脚期後半のみStop100 において有意に減少した.各項目について速度増加に伴う有意差はみられなかった.急停止試行において停止刺激出現後,股関節が伸展してくるときに,速度の増加に伴いより早期から股関節屈曲モーメントが出現した.その最大値は速度とともに増加する傾向が見られ,Stop150 で有意に増加した(Stop100: 0.68 ± 0.14,Stop120: 0.82 ± 0.30,Stop150 : 0.97 ± 0.28Nm/kg).膝関節については立脚期の中で2 度の屈曲が生じ,そのときの最大伸展モーメントは快適歩行時に0.50 ± 0.29,Stop100 時に0.65 ± 0.34 Nm/kgであり,Stop100 において有意に増加した.また,速度増加に伴い最大屈曲角度・伸展モーメントが増大する傾向がみられた.【考察】急停止時の床反力の特徴として制動力増加と推進力の減少が生じた.これらの結果は先行研究の報告と一致しており,停止動作の力学的特徴と考えられた.本研究では速度による変化はみられなかったが,その原因として,停止パターンに個人差があったためと考えられた.急停止時において刺激入力後,股関節伸展時に生じた股屈曲モーメントは股関節屈筋の遠心性収縮により,身体の前方移動を抑制するために作用すると考えられた.また,膝関節では大きな伸展モーメントを伴う2 度の屈曲運動が生じた.これは膝伸筋群が遠心性収縮することで衝撃吸収,あるいは膝折れ防止に働いていると考えられた.【理学療法学研究としての意義】歩行急停止には股関節屈筋と膝関節伸筋の遠心性収縮による制動が作用していることが示唆された.これらの知見はより効果的な転倒予防トレーニングを開発する上で有用と考えられる.