抄録
【はじめに、目的】リハビリテーション阻害因子である脳卒中後痙縮の発症機構は、電気生理学的な検証がなされているものの、動物モデルが確立されておらず、詳細な病態機序は未だ不明な点が多い。近年、脊髄損傷モデルラットを用いたBoulenguezらの研究により運動神経細胞膜上に存在するK+/Cl-共輸送体(KCC2)の発現減少が神経細胞の脱抑制を引き起こすことで、脊髄損傷後の痙縮を惹起することが明らかになった。そこで本研究では新規脳卒中痙縮マウスを用いて、脊髄運動神経細胞膜上KCC2の発現が変化するかどうかを確認することを目的とした。【方法】実験動物として8-9週齢C57BL/6Jマウスを用いた。吻側上肢領域を含む前肢運動野に脳虚血を発生させ、脳卒中マウス(損傷群)を作成した。手術操作を行うが脳虚血を起こさないマウスをコントロール(コントロール群)とした。痙縮の評価は、一般的に用いられている刺激頻度に依存したHoffman反射(H反射)の振幅の減弱(Rate-Dependent Depression:RDD)を用い、脳卒中前および3、7、14、21日後に測定した。用いた刺激頻度は0.1、0.5、1、2、5 Hzであり、各刺激頻度に対して23回の電気刺激を加え、それぞれのH反射の振幅を平均で算出した。運動神経細胞膜上のKCC2発現量の解析には免疫組織化学染色法を用い、損傷7日後および21日後に頸髄領域(C4-C7)の脊髄前角運動神経細胞の細胞膜に局在するKCC2陽性面積をImage Jを用いてピクセル数で計測した。【倫理的配慮、説明と同意】本研究は名古屋大学動物実験委員会の承認を得て、名古屋大学における実験動物などに関する取扱規定を遵守し、実施した。【結果】脳卒中7日後、21日後において大脳皮質損傷範囲は損傷群内で大きな差は認められず、再現性を確認できた。経時的に測定した麻痺側前肢H反射RDDの結果、刺激頻度5Hzではコントロール群と比較して、損傷群に有意なRDDの弱化がみられた(P<0.01)。損傷7日後における損傷群の麻痺側と非麻痺側前肢のH反射RDDを比較した結果、麻痺側前肢においてH反射RDDが有意に弱化していた(P<0.01)。免疫組織化学染色法の結果について、損傷7日、21日後の損傷群脊髄前角運動神経細胞膜上のKCC2陽性面積は、コントロール群と比較して有意に低下していた(P<0.01)。また、損傷7日後の損傷群の麻痺側と非麻痺側との比較では、麻痺側のKCC2陽性面積が有意に低下していた(P<0.01)。【考察】本研究は、脳卒中後痙縮を発症する脊髄運動神経細胞の膜上に局在するKCC2発現面積が有意に減少することを初めて確認した。損傷後3日から21日まで麻痺側上肢において、痙縮の電気生理学的な所見であるH反射RDDの弱化を確認した。この結果は吻側上肢領域を含む前肢運動野に虚血を発生させた脳卒中モデルマウスにおいて痙縮が発症したことを示す。Boulenguezらの研究や本研究の結果から、脳卒中後の痙縮発症機構にKCC2の関与が示唆された。【理学療法学研究としての意義】痙縮発症の有無は運動機能回復の到達度や日常生活動作能力の獲得などとの関連が深いが、痙縮に対する有効なリハビリテーション治療はほとんどないのが現状である。重度痙縮に対するボツリヌス毒素の注射やGABA受容体アゴニストのバクロフェン投与などの対症療法はいくつかあるが、効果の持続性が乏しいことや副作用があるなどから問題点も多い。本研究が脳卒中後の痙縮に対する有効なリハビリテーションを考察するための重要な知見を生み出すきっかけになることを確信している。