抄録
【はじめに、目的】 近年、がん治療効果の向上に伴い、がん治療の後遺症であるリンパ浮腫に対する治療が注目を集めている。このリンパ浮腫に対する代表的な治療法は、1)マニュアルリンパドレナージュ、2)弾性包帯による圧迫療法、3)歩行などの運動療法を組み合わせた複合的理学療法が知られているが、十分なエビデンスが確立しているとは言いがたい。なかでも運動療法は、圧迫療法下にて自転車エルゴメーターなどの有酸素運動を中心とした軽運動を行うことによって、筋のポンプ作用を促進させ排液を促すことを目的としている。しかし、これにより静脈還流量が増大され、心肺機能に過剰の負担を要することが推測されるが、これまでのリンパ浮腫治療に関する報告では、運動療法のリスク管理に関するものは見当たらない。本研究では、まず健常成人を対象として、複合的理学療法における一側下肢圧迫療法下での運動が呼吸循環応答に与える影響について検討することを目的とした。【方法】 対象者は、呼吸循環系に疾患を指摘されたことがなく、かつ下肢運動器にも障害がない健常成人男性9名(年齢22.7 ± 5.3 歳、身長170.9 ± 3.0 cm、体重61.8 ± 5.7 kg)とした。はじめに運動負荷プロトコールの決定のために、自転車エルゴメーター(75 XL II、COMBI社製)を用いramp 25にてランプ負荷運動を行い、呼気ガス分析装置(ミナト社製)の測定結果からv-slope法にて換気性代謝閾値(VT)の決定を行った。その後、対照群と下肢圧迫群に対して、VT時の仕事量を100 %とした際の80 %仕事量をそれぞれの仕事量で3分間の一定負荷での運動負荷試験を実施した。その結果から、一側下肢圧迫の有無による呼吸循環パラメータの差について比較検討を行った。なお統計解析には統計解析ソフトRを用い、対照群と下肢圧迫群のそれぞれの呼吸循環応答の値について一元配置分散分析をもちい、有意水準を5%未満として行った。【倫理的配慮、説明と同意】本研究はヘルシンキ宣言に基づいて配慮を厳重に行い、被験者には書面にて本研究の趣旨、考えうるリスクなどを説明の上、同意を得られた者のみとした。【結果】 対照群の平均はVO2は1315.9 ± 83.9 ml・min-1、HRは120.5 ± 11.0 bpm、VO2 / HR 11.0 ± 1.3 ml・beats-1、RRは25.5 ± 3.3 回、VE 35.1 ± 3.8 ml・min-1であった。一方、下肢加圧群の平均はVO2 は1382.3 ± 65.9 ml・min-1、HRは123.0 ± 12.8 bpm、VO2 / HR 11.4 ± 1.2 ml・beats-1、RRは24.3 ± 2.8回、VE 35.9 ± 4.6 ml・min-1であった。対照群を100 %とした際の下肢圧迫群の平均変化率(⊿)は⊿VO2は105.0 ± 3.1 %、⊿HRは102.1 ± 4.3 %、⊿VO2/HRは103.0 ± 3.3 %、⊿RRは95.2 ± 9.4 %、⊿VEは102.1 ± 10.9 %であり、有意な変化は見られなかった(p > 0.05)。【考察】 本研究では健常人を対象として、リンパ浮腫治療法である弾性包帯による片側下肢圧迫を行った状態で、VT80%強度での自転車エルゴメーター負荷運動時の呼吸循環応答の変化について検討を行った。その結果、VO2などの呼吸循環指標に有意な変化はみられなかったが、測定したほとんどの値において下肢圧迫群に上昇傾向がみられた。一般的には下肢圧迫を行いながら運動をすることによって筋のポンプ作用がさらに促され、静脈還流量の増加がすると考えられている。本結果からは下肢圧迫の有無による運動時の呼吸循環応答に有意な変化はみられなかった。下肢圧迫による身体への影響は、Stirlingの法則に基づいて考えると下肢圧迫により組織毛細血管における有効濾過量の減少、有効再吸収量の増加がおきていると考えられる。リンパ浮腫患者のように組織間隙に過剰な水分が貯留している場合、このStirlingの法則に基づく現象が顕著に起こっていることが推測される。また、患部組織間隙における水分の過剰な貯留のため患肢重量の増加が起こり、いわば重量負荷を行なっている状態である。そのため下肢圧迫を行った場合、自転車エルゴメーターによる仕事量設定が同じであっても、リンパ浮腫患者では健常人より運動負荷量が大きいことが考えられるため注意を要する。今後は本研究結果をもとにリンパ浮腫患者を対象として、下肢圧迫運動時における呼吸循環応答の変化について検討を行なっていく必要があると考えられる。【理学療法学研究としての意義】 本研究によってリンパ浮腫患者への運動療法を安全かつ適切な強度で運動を行うことが可能となると思われる。これは経験的に行なっていたリンパ浮腫患者への運動療法が科学的根拠に基づいた治療法として確立するために寄与できるものと考えている。