主催: 日本理学療法士協会
会議名: 第53回日本理学療法学術大会 抄録集
開催日: 2018/07/16 - 2018/12/23
p. E-41
人はいつしか自分と他人の違いに気づき(幼児期),「自分らしく生きるとは」と問いかけはじめます(青年期)。そして,ある程度,意図通りに生活ができはじめる(成人期)と,意図と結果の間に乖離がなくなります(無意識化)。しかし,病気等で意図通り身体が動かなくなると,負の感情を起こし,それを継続させる身体に対して嫌悪感をもったり,それを無視するようになり,人らしく生きられていないと解釈したりします。「私の身体のように思えません」といった自己意識は,患者の病態を示す発見的データです。大なり小なり,脳卒中患者はこうした意識経験を有していることは現象学的に自明です。
哲学で議論されてきた身体意識や身体性(embodiment)は,Gallagher(2000)によって「自分の身体が自分のものであるという所有の意識(身体所有感;sense of ownership)と「この自分の運動を実現させているのは自分自身であるという主体の意識(行為主体感;sense of self-agency)」に区別されました。近年の神経科学によって,前者は視覚,体性感覚,感覚予測等の情報の時間的一致,後者は運動指令に伴う遠心性コピーと行為の結果として起こる動きの知覚の時間的一致によって起こることが判明しました。
人の身体意識は3つの階層での相互作用によって変調すると考えられています(Synofzik, 2008)。最下層が感覚運動表象であり,先に示した感覚や予測の情報の統合によって生まれる身体意識です。Gallagher はこれをminimal self(原始的自己)と呼び,言い換えれば,生物的なヒトの身体意識と言えます。第2層は概念的表象と呼ばれ,これは文脈や自己の信念等が影響します。virtualな手が自分のように思う錯覚も文脈に伴う認知的解釈によるものであり,この層の意識が関与します。最上層はメタ表象と呼び,一般的判断や社会的規範等が影響し,他人の身体と比べてどうかといった社会的解釈が含まれます。義手の許容もこの水準の意識により干渉されます。これらはnarrative self(物語的自己)と呼ばれ,時間軸に伴う過去-現在-未来をつなぐ社会的な人としての自己意識です。
故・砂原茂一先生の著書「リハビリテーション」には「健康とは身体的,精神的,社会的にうまくいっていること(well-being)で,単に病気や虚弱でないということではない」とWHOの定義が引用され,リハビリテーションとは何かを問いかけています。この身体的,精神的,社会的にうまくいっているとは,先に示した3つの層のいずれにおいても,私らしくこの身体で生きられていることと解釈できます。本講演では自験データを含めて,身体性の視点からリハビリテーションとは何かを考えたいと思います。