抄録
本研究は、上肢切断・麻痺者が持つ幻肢の「経験」を、フィールドワークで収集した当事者の主観に即して分析する。幻肢とは、上肢切断や麻痺後もなお当事者に感じられている、存在しないはずの手の感覚を指す。幻肢は物理的な対応物をもたない極度に主観的な感覚であるにもかかわらず、当事者の経験を分析対象にした研究はほとんど存在しない。幻肢の先行研究は、治療の対象として脳の電気的な活動や筋電位の変遷など数値が問題にされるものと、「無い手を感じる」という特異な表象として過去の身体との連続性だけを論じるものに大きく二分され、変化を伴う経験としての幻肢は主題にされてこなかった。
本稿では、「経験」という時間的な視点において幻肢を捉え、当事者にとって幻肢とはどのような「手」であるかを固有性に即して明らかにした。幻肢痛緩和に一部効果が見られている VR リハビリテーションの回数を重ねることにより、かつての手の記憶が薄れ、当事者にとって動かすことができる手は VR の「画像の手」に置き換わる。つまり、当事者が持つ幻肢は、認識的にも「失われた手」を恒常的に保ったものでは決してないのだ。
ただし、かつて物理的に存在した手と完全に関係が断絶するわけでもない。たとえば麻痺者においては、麻痺した患肢と形のない幻肢のどちらを「本物の手」として捉えるかの「葛藤」を抱えるケースも見受けられた。当事者がもつ幻肢は、何を「本物の手」として捉えるか、すなわち再身体化された身体への距離感の差が「わたしの手」として再獲得された手の違いとして現れている。