ソバ穀粒を寒晒し処理する「寒晒蕎麦」は江戸時代中期から幕末にかけて信濃国の高遠藩および高島藩から将軍家に献上しており,現在では全国の複数か所で商品化されている。本報では,両藩における寒晒蕎麦の歴史を調査するとともに,現在,寒晒蕎麦を製造する団体にアンケート調査を実施し,その歴史と現状を調査することにより, 寒晒蕎麦の歴史と現状を明らかにすることを目的とした。調査の結果,両藩ではソバについた虫を殺し品質を長期的に保つことが寒晒し処理の元来の目的であったこと,献上品はソバ穀粒の状態で江戸まで運ばれたことなどが明らかになった。また現在では両市を含む27カ所の地域でまちおこしを主たる目的として寒晒蕎麦が製造されており,その製法は「本朝食鑑」を参考にして各地域の自然条件に合わせて変えていた。寒晒し処理による食味変化も各地域により認識のばらつきがあり,それは製法や加工法の違いが関係していると推察された。