本稿は、終戦直後から始まった占領期における美術館の接収と解除の経緯を考察することにより、戦後の国内美術館とそこにかかわる美術家たちがどのように活動を再開させ、復興していったのか、その様相を明らかにしようとするものである。ここでは、接収されていた美術館の一つである大阪市立美術館(1936年開館)を取り上げる。同館は他施設に比べ約2年間という速さで接収を解除されたが、GHQ接収後にどのようにして解除へと至ったのか、詳細については不明のままであった。本稿では、接収解除に関する一連のGHQ文書(国立国会図書館蔵)を手がかりに、これまで触れられることのなかった接収解除に際する美術館とGHQ側との交渉、GHQ内における検討の過程を明らかにする。美術館職員とGHQ関係者との個人的な交友、GHQの政策理念などさまざまな理由を背景として実現へと至った可能性を指摘したい。