2024 年 21 巻 p. 59-73
日本では、遺跡の往時の様相を伝達する取組として遺構復元が行われてきた。一方で、遺構復元に対しては、歴史像の固定化を招くなどの批判もあり、現代の遺跡における復元の有用性とその適切な方向性を検討する必要がある。
三内丸山遺跡(青森県青森市)では、大型掘立柱跡の復元にあたって専門家による遺構解釈が分かれ、①大型高床建物案、②大型高床建物漆着色案、③非建物(木柱)案の3種の復元案が提示された。復元にあたった青森県は、複数提示された復元案のいずれの解釈も採用せず、科学的根拠から確実性が高いと判断される要素のみを優先的に復元した。こうして復元された大型掘立柱建物は、復元実施時点での科学的知見に限界があることを踏まえ、将来の知見の反映による更新を見込み議論の余地を残していた。
更新を前提とした「順応的復元」の実現には、不動産である復元建物を基盤とし、可変が容易なデジタルコンテンツの付加や市民との協働を通じた、情報の共有および蓄積を欠かすことはできない。議論の余地を残す「順応的復元」により、遺跡空間は人々の想像力を促進させる存在となり、その想像力の促進こそが現代の遺跡空間における復元の有用性であると考えた。