抄録
1943年に労働科学研究所の行った調査によれば、一人前の大工が本格的な仕事で使う道具は179点、そのうち錐は7種類26点であった。これが近現代における建築用の錐の標準編成である。
しかし、その前の時代である近世の建築用の錐については、詳細な調査報告が見あたらない。そこで、近世の実物、文献、絵画、建築部材等の諸資料を調査した結果、次のように要約することができる。
(1) 近現代の揉錐4種類(四方錐、三つ目錐、壷錐、ねずみ歯錐)は、近世にも存在し、建築用の錐として使われていた。
(2) 近世には、揉錐であけた穴を大きくするための錐である「錑」が使われていたが、近・現代になると姿を消している。
(3) 明治時代以後、西洋文明の影響で普及したハンドル錐が、近世の終り頃には、すでに一部の地方で、日本の大工によって使われていた。
(4) 近世の堂宮大工の中には、近世の文献資料に記載のない錐を用いる者もいた。
(5) 近世の絵画資料には、建築工匠が錐を使っている場面を描いたものがいくつかある。中世以前の絵画には、そういう場面は見いだせない。
(6) 近世の和釘の形状を見ると、錐によって釘穴を穿つという作業は、現在考える以上に重要であったと思われる。