抄録
本稿は、字と大字の歴史的関係、明治期の行政村とくに市制町村制下で大字として把握された「江戸時代の村」の有り様、および大字と入会権との関係を、段階的に整理し、小考したものである。江戸時代以前には、大字は存在せず、字のみが存在し、それは村内の小区画を意味する公簿上の用語であった。明治になると、地租改正作業・土地測量を通じて字や村の境界が確定され、一部には字や村などの分割・合併・新名称の付与なども行われた。新たに広域の行政区画が生まれると、その内部に旧来の村が存続し、入会集団としても継続していたといえる。明治21年市制町村制が成立する。その際旧来の村々の大規模合併が行われ、新たな市町村が生まれたが、そうした市町村内部に存在したそれ以前の村々は、「大字」と呼ばれるようになった。大字は、江戸時代の村がそのまま大字となったところや、明治初期の合併によって江戸時代の数か村のまとまりが大字となっているところもあり、地域によって様々である。ただし、近世の村が大字となったとしても、大字それ自体が入会集団であったとは言えない。このことを三重県鳥羽市菅島の事例によって説明した。