日本理科教育学会研究紀要
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独立以前のバングラデシュにおける科学教育の発達 ―1902年から1947年まで―
ミアー ムハマド・ゴラム・ラスール
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1981 年 21 巻 2 号 p. 31-38

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抄録

本研究の目的は,バングラデシュにおける自然科学教育の発達を解明することである。本論文では, 1902年から1947年までをバングラデシュの科学教育発逹の黎明期と位置づけ,この時期の科学教育の発達について考察した。分離以前のベンガル地方のすべての教育はカルカッタ大学により統制されてきたが, 1904年までの大学は教育の場ではなく,行政的な機関であった。しかし, 1902年のインド大学委員会の報告に伴い,カルカッタ大学は自らも教育を行う場となり, 1906年に理学部が設置され, 1908年からは大学院も設置された。しかし財政的な事情から,そこでの科学の授業の開始は実際には1912年であったっこのようなペンガル地方における科学教育の開始は, SirT. PalitやSirR. B. Ghoseらの,科学や技術教育の発展を望む人びとによる多額の資金援助に負うところが大きかった。1907年にカルカッタ大学が規定した進級及び卒業試験の科目は,科学系では物理と化学の範囲にほとんど限られ,しかも1936年まで科学の実験もあまり行われなかった。科学の教科書としては, Perkinの化学, Glaze brookeの物理, Huxleyの生理学などが使用された。他方,ベンガル地方における中等教育の課程は,カルカッタ大学の入学試験に準じて決定され,同大学により支配され続けてきた。その際,科学は入学試験の科目からばすされていたために,学校では教授されなかった。この背景には,ベンガル地方の社会が科学教育を学校教育の中へ導入することを要求しなかったこと,政府も,科学教育を普及するための資金援助をほとんどしなかったこと,さらに学校自体も常に財政的に切迫した状態におかれていたことなどの点があげられる。いすれにしても,ベンガル地方の中等学校は, 1947年のインドからの分離独立まで科学教育をほとんど行わないままであった。

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© 1981 一般社団法人日本理科教育学会
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