日本理科教育学会研究紀要
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明治前期における実験器具普及の過程
植松 敏夫
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1990 年 31 巻 1 号 p. 39-49

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抄録

明治5年の学制から明治19年の小学校令発布に至るまでの明治前期では、少なくとも小学校及び師範学校においては、理科教育は「読み方」の域を脱し得なかった。その中で理科教育の目的と方法を模索し、授業に実験を導入することも当初から一部の人々の間で認められていた。官立師範学校の廃止や教育令の改正など、教育が地方に依存する比重が増加すると、文部省は実験器具の交付や学事奨励品付与例を設置した。当初、実験器具は輸入品が多かったと思われるが、技術者養成のため明治7年に東京開成学校内に設けられた製作学教場で実験器具の模造が行われた。ここから国産の実験器具製造業者が生まれ、教育博物館によって育てられた。教育博物館は実験器具の普及を目指し、これらの製作業者に安価な実験器具を製作させた。文部省が交付した学事奨励品の選定は教育博物館が行った。こうした実験器具普及の努力によって、理科教育に実験器具が必要であるという意識が高まったと思われる。しかしながら、明治18年以降、文部省の政策変更から小学校における実験の導入は漸減する。文部省の政策がこのように後退する理由に関しては、さらに多くの研究が必要であり、別稿に譲りたいと思う。

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© 1990 一般社団法人日本理科教育学会
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