本論文はアイヌ語の南北海道方言における引用という文法範疇を統語的,談話機能的,歴史的,類型論的視点から体系的に記述する。先行研究においては発話の報告は単に「引用」として,あるいは直接・間接話法の対立として分析されてきた。本論文では引用の位置付けを決定する中核的原理としての人称直示形式によって区別されるアイヌ語の引用構文には3つの主要なタイプがあることを示す。
(1)直接話法:元の発話者の視点;(2)間接話法:引用者の視点;(3)準直接話法:元の発話者と引用者の視点の組み合わせ。
準直接話法においては,二・三人称の元発話者を指示する際にいわゆる「不定人称」が使われる点で引用者の視点への代名詞の調整がおこっているにもかかわらず他の指示対象は元の発話で使用されたはずの形式がそのまま現われる。このような「不定人称」の用法(田村2000: 74の「引用の一人称」)はロゴフォリックなもの(つまり,ある種の引用構文において引用者を指示する特別の形式)であると提案する。これはHagege(1974: 287)がアフリカの諸言語の例によってはじめて示したロゴフォリック性の定義に適合する。
重要なのは,準直接話法はさまざまな点で直接話法の一種と分析できないということであり,上の3つの構文は文体,あるいは談話構成上の都合で選ばれていると考えられる。ただし,民話のジャンルによっては主要なスタイルとして慣用化されているものもある。