抄録
桃園台地は溜池の密に分布している地域として有名である.日本領時代に日本の食糧自給政策の一環として,且つ原始的な溜池に依存していたこの地域を,旱害から救うために, 1916~28年の間に桃園大堀(桃園大水用)を,淡水河から開さくした.淡水河の下流に古い水田が広く存在していたので,この用水の開さくに強い反対が起った.それ故に古い溜池を整理して,近代的の溜池に改修したものを244箇残して,大洲と溜池で灌概を改良した.戦後台湾の人口が急増したために,緊急食糧増産の要請が強くなり,輪流灌概方式を普及させて,用水の節約を計って,光復堀の建設などが行なわれた.他方残された台地高位部の水利改良のために,淡水河の谷に多目的の石門水庫を作り,これより石門大珊を開さくして水利改良を行なっている.その他,退役軍人の救済のために初められた,溜池の養殖業や,工業化の問題にも論及する.