人間生活文化研究
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英文学系授業における学修成果の可視化について
武藤 哲郎
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キーワード: 英文学, 学修成果, 可視化
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2018 年 2018 巻 28 号 p. 180-188

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抄録

 ひと昔前,日本の大学の英語教育は原典講読(英文学作品を日本語に正確に訳す)によって行われてきた.ところが,英語を「聞いて話す」日常会話に重点が置かれなかったため,この教育方法は「大学を出てもろくに英語が話せないのではないか」と当時参議院議員であった平泉渉氏によって批判を浴びた.この教育方法の擁護に回ったのが上智大学英文科教授の渡部昇一氏で,彼は重要なのは「顕在性」ではなく「潜在性」で,目に見える効果は上がっていないが日本語と格闘する知的訓練を教えてくれたと述べている.この論争は二人の思惑に反して「実用」か「教養」かに簡略化され,平泉氏には企業そして中学・高校のPTA関係者が賛成にまわり,渡部氏には現職の英語教育関係者が応援にまわって,まさに平泉=渡部論争として日本をそして世界を巻き込んだ大論争に発展していった.

 以来,日本の英語教育は「コミュニケーション力」に重点を置いた「実用」に定着して久しい.ところが2021年度からの入試改革では「センター試験」が「大学入試共通テスト」として学力の3要素「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度」を多面的・総合的に評価するものへと転換することが目指されている.「思考力」と「判断力」の見直しについては,国語において論述式の問題が課せられることからもいかに文科省が力を注いでいることが窺える.裏を返せば,「実用」に走って英語の「読み」をおろそかにしてきた付けが回ってきているのである.今の若者は自分の言葉で考えようとしないし,言葉の大切さを意識することもない.日本の古くからの英語教育,それは英語を正確な日本語に置き換えることによって言葉の大切さを認識する訓練であった.何故なら言葉が人間の思考を可能にする唯一の手段であるから.考えてみると日本の英語教育は数奇な運命をたどってきたことになる.英語を「読む」ことによって英語力を,そして正確な日本語を,最終的には思考力を培ってきたのである.

 ところが,日本の大学における英文学系授業は今や敬遠され,そのコマ数も激減の一途をたどっている.授業で英文の訳読をするのを学生は一様に嫌がる.教員はそれに敏感に反応して大意を捉えることでお茶を濁し,学生に言葉の訓練をさせることを省略してしまった.それに拍車をかけるのが,英文学をやっても「役に立たない」という日本の企業を中心とした社会通念である.こうした議論は不思議とイギリスやヨーロッパの国々では起こらない.自国の文学を大事にしてきた国柄の違いなのかもしれない.オックスフォード大学英語コースのエマ・スミス教授にこのことを話すと,‘Very interesting!’という言葉が返ってきた.彼女の言葉には日本の風潮を肯定する意味はもちろん含まれてはいない.

 オックスフォード大学のエマ・スミス教授とのインタビューでは大きな収穫を得ることができた.一つはオックスフォード大学の成績評価の方法である.試験問題の作成から,評価に到るまでの過程の説明を聞くといかにオックスフォード大学が世界第一のレベルを維持しているのかが理解できた.さらに,入手困難な実際の試験問題の提供を受けていかに学生たちが高いレベルの評価基準をクリアしているのが確認できた.「単位の実質化」あるいは「学習成果の可視化」という言葉はもちろん日本の第三者評価においてのみ使われる言葉で,オックスフォード大学の成績評価にはそう行った類の言葉は存在しない.言葉として存在していないが,「単位の実質化」「学修成果の可視化」という言葉こそないが,それに相当する手段あるいはそれを担保する行為が遠い昔から行われ続けていることが確認できた.「顕在性」と「潜在性」という言葉で置き換えるのなら,「顕在性」は言うに及ばず「潜在性」をしっかりと持った学生をオックスフォード大学は育成しているのである.

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© 2018 大妻女子大学人間生活文化研究所
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