2019 年 2019 巻 29 号 p. 634-650
本稿は,ヨーロッパ列強の植民地開発の結果,多民族共生社会が展開されるようになったカリブ海諸島最南端のトリニダード島における,中国からの移住者やその子孫のアイデンティティ構築過程を探るものである.19世紀前半から主に労働者としてトリニダードへ組織的に移住した中国人移民は,20世紀初頭には社会的階層の上位を占めるようになり,カリブ海地域と東アジア,そして当時の宗主国である英国の各地で経済的・政治的に活躍し,中華民国の国民政府において外相を務めた者も輩出した.20世紀半ばより中国系に対して中国出身者としての帰属意識を促してきた多数の中国系同郷組織は,現代の中国系アイデンティティには大きな影響を与えていない.多民族共生社会における多数派であるアフリカ系やインド系との相関関係,中国・台湾との心理的距離,家族の中国文化に対する価値観,身体的な特徴などの影響を強く受け,21世紀現在の中国系トリニダード人のアイデンティティは個人個人多種多様な様相を呈し,流動的であることが明らかになった.