抄録
本発表は、天明3年(1783)浅間山噴火災害絵図を対象とし、描かれた図像や構図を分析することで、その表現に見出せる災害像を考察するものである。 天明3年の浅間山噴火によって、広範囲に降灰や泥流の被害がもたらされた。その災害の諸相を描く絵図類は、現存するだけでも100点以上に及んでいる。絵図に描かれる内容は噴火推移と被害様相の2つに大別でき、被害についてはさらに降灰被害と泥流被害に分けられる。 噴火推移は、浅間山の南側から俯瞰的に描かれるものが多い。山頂部分に紙を貼り重ねるかぶせ絵図の様式で、複数の場面に分けて推移が表される。ほぼ中央部に浅間山山頂部を配置し、噴煙を描くために絵図の半分近い面積を充てている。そのため、噴煙の図像に注意を向ける構図となっている。 泥流被害の範囲は、河川両岸を着色することで表される。被害有無の境界の明確さは絵図ごとに異なり、村名を囲む図形に対する着色面積や色の塗り分けで各村の被害程度を表すものもある。吾妻川流域の泥流被害を領域的に表す絵図は、パノラマ的に描かれた山稜線が閉空間を創出し、山稜線を幾重も重ねることで求心的に吾妻川を際立たせる構図である。また、吾妻川・利根川両流域の泥流被害を描く絵図には、河川自体が構図を決定づけるものがある。そのなかには、直線状に表された両河川の泥流流路が、絵図の中心線と一致する絵図がある。また、空間を分節する境界として河川が位置づけられ、山稜線を描く方向が河川を境に異なる絵図もある。 災害の諸相に応じて、絵図に描かれる内容はさまざまである。しかし各絵図には、図像の詳細さや構図のあり方などの表現に、重要視された点を見出すことができる。それぞれの絵図で異なる内容と表現には、多様な災害像を見出せるのである。