人文地理学会大会 研究発表要旨
2007年 人文地理学会大会
セッションID: 102
会議情報

第1会場
吉田初三郎の神戸市鳥瞰図について
*三好 唯義
著者情報
会議録・要旨集 フリー

詳細
抄録
吉田初三郎(1884~1955年)は京都に生まれ、友禅の図案工などを経たのち、洋画家を志して関西美術院長鹿子木孟郎(1874~1941年)に弟子入りする。大塚隆氏によると、鹿子木は大正2年の夏にフランスより持ち帰ったパリ市街図を吉田に見せ、新地図の創作を促し、それによってできた京阪電鉄沿線図が時の皇太子(昭和天皇)から「キレイデワカリヨイ」と褒められたことが、彼の地図制作を決定づけたとされる。あわせて、大正後期から昭和にかけて、鉄道網の発達に伴う国内観光ブームの中で、各地を調査して観光案内地図を数多く作成した。 初三郎が描く絵のような地図に対する関心は、鉄道や古地図のマニアだけでなく、かつての都市景観を懐かしむ人々の間でも高いものがある。今回の報告では、昭和5年刊行の神戸市鳥瞰図上にある高架鉄道線や建物など人為的構造物の姿を当時の写真等と比較し、初三郎の図がどれほど実態を伝えているかを検討する。 また報告者は、幕末から明治時代初期にかけて活躍した五雲亭貞秀と吉田初三郎を、その作品ならびに世上の評価における両者の類似性を認めるものである。画面上に煩わしいばかりに地名等の地理情報を配置すること、描画の手法としての俯瞰図、また雲や雨など叙情的要素は一切描かず、人物もはっきり描かないなど、これらの特徴は五雲亭貞秀が描くところの地図的風景画に極めて近い。わが国の地図作成史、とりわけ刊行地図史の中で、両者の関係を考察できるのではないかと考えている。 初三郎の神戸市鳥瞰図は昭和5年8月に作成されたが、その図中には当時の神戸市域に存在した建物等の構造物が見事に描き込まれている。これら構造物の姿は、通常の地形図には表現されないもので、当時の写真や絵葉書等と比較するとき、その姿や色彩を正確に活写していることが指摘できる。原図ではさらに克明に描写されていたはずだが、昭和5年(1930)の神戸の都市景観をこれほど広範かつ克明に記録するものは他にはなかろう。 吉田初三郎が残した都市鳥瞰図は出版物であることによって、原図の多くが失われた現在でも数多くの沿線名所や都市景観を見ることができる。他都市にも同様の調査をあてはめ、都市景観の復元材料とすることが可能だと考えられる。
著者関連情報
© 2007 人文地理学会
前の記事 次の記事
feedback
Top