人文地理学会大会 研究発表要旨
2008年 人文地理学会大会
セッションID: 104
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第1会場
天明三年浅間焼け絵図からみる災害観と空間把握
―イメージと構図から―
*玉井 建也福重 旨乃馬場 章
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キーワード: 浅間山, 噴火, 絵図, 近世, イメージ
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抄録

 本研究は、天明三年(1789)の浅間山大噴火(天明の浅間焼け)の災害絵図を分析し、当該期の人々の中に形成された災害に対するイメージを把握することで、絵図が作成された文化的背景を引き出すことを目的とする。 歴史学において災害研究は環境研究と共に近年盛んに行われるようになった分野である。天明三年の浅間山大噴火の災害絵図に関する研究としては、文献資料を活用した渡辺尚志氏、浅間焼けに関する災害絵図の基礎分類を行った北原糸子氏、浅間山噴火災害絵図の内容や構図について具体的に分析した大浦瑞代氏らの研究がある。
 本研究では東京大学大学院情報学環馬場章研究室が中心となって行っている文化資源統合アーカイブシステムに収められた浅間焼け関連災害絵図を分析している。本アーカイブシステムには、検索機能や電子付箋(アノテーション)機能があり、これらを絵図の分析に用いた。
 以上を踏まえ、近世期に人々は災害に対してどのような視線を向けていたのかを考察する。見立番付とは、江戸時代に相撲番付の形式を取って、諸国の産物や流行物などを取り上げたものだが、その中に災害を取り上げた災害番付がある。「聖代要廼磐寿恵」(東京大学情報学環所蔵)には、大火・津波・地震の三種類が番付され、火山噴火は存在しない。火山噴火が取り上げられた見立番付は安政期(1855-60)に成立した「珍事一覧」(東京大学地震研究所所蔵)になる。この番付では浅間山噴火・雲仙普賢岳噴火は上位には描かれていない。また史料名からもわかるように災害ではなく、珍事のカテゴリーに所属している。その理由として、「珍事一覧」の成立に対する両噴火の時代的距離と地理的距離の問題がある。
 また、記録・随筆類についていえば、随筆は浅間山から離れた地域で記されたものが多く、浅間山を富士山との対比で捉え、噴火時の江戸の状況が中心的に述べられている(「宝暦現来集」)。当時勘定吟味役であった根岸鎮衛は、自身が検分した浅間焼けの被害について克明に記録している(「耳袋」)。また、当時流布していた絵図について山川村里の名前の間違いが多いと指摘した記述もみられる(「翁草」)。しかし、必ずしも正確性を追求した記録類ばかりではない。「浅間ケ嶽振動実記」(東京大学地震研究所所蔵)や「天明三年癸卯秋七月上旬信州浅間焼之図」(浅間火山博物館所蔵)には化物や毒の描写がみられる。ただし、留意すべきなのは、地震を鯰絵で表すのとは違い、火山噴火そのものを「異形なもの」として捉えているのではないということである。
 また、天明の浅間焼けを描いた災害絵図を、主題や範囲などから分類するといくつかの傾向がみられる。すなわち、絵図の主題-噴火の様子、降灰・泥流被害-により、描く範囲や構図が異なる。絵図中のランドマークを分析することにより、絵図作成の背景を探ることができる。「信州浅間焼之図」(三井文庫所蔵)、「浅間焼見聞実記」(東京大学地震研究所所蔵)、「浅間焼吾妻川利根川泥押絵図」(群馬県立歴史博物館所蔵)などには、絵図の主題となる浅間山をはじめ、白根山・万座山・赤城山・榛名山などの山々が描かれ、それらはランドマークであるとともに、絵図の範囲を設定する。
 さらに、江戸を絵図中に含めることで絵図の構図が変化する。「閑窓雑誌」(群馬県立文書館所蔵)や「太平秘録抜書」(東京大学地震研究所所蔵)、「浅間山噴火に関する瓦版」(浅間火山観測所所蔵)では江戸がランドマークとして描かれたが、絵図中に絵図を手にする人々の居住地を含めることで、絵図のリアリティを増すことになった。また、彼らの必要とする情報-降灰被害か、泥流被害か、信濃・上野両国内で完結する被害か、利根川流域にかかわる広範囲の被害かにより、被災地として描かれる範囲やランドマークも変化した。絵図には城下町・寺社・史跡なども描かれており、これらのランドマークは絵図の作成者・閲覧者にとって共通に認識できる記号となっていた。
 今後の課題としては、浅間焼けに関する様々な記録物を類型化し、分析することが必要である。また、絵図史料に関しても、類型化・内容分析とともに、他の火山噴火の絵図との比較なども視野に入れる必要がある。
 なお、本研究は文部科学省科学研究費補助金特定領域研究(16089203)「火山噴火罹災地の文化・自然環境復元」の一環として行われたものである。

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