人文地理学会大会 研究発表要旨
2008年 人文地理学会大会
セッションID: 410
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第4会場
日本の戦後民主主義論における「地域」概念の位置づけ
*西部 均
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抄録

1はじめに
 地域は地理学で最も多用される重要概念である。しかし今日、地理学者も従来の地理学概念とは異なる文脈に置かれた「地域」概念を無視し得ない状況も生まれつつあるようだ。超国家的な地域のとりまとめが外交の熾烈な議題になると同時に、地方分権改革の流れから身近なコミュニティのエンパワメントが市民的議題になっている影響であろう。こうした多種多様な「地域」概念を地理学概念と節合していくために、その出自を整理し、簡単な見取り図を描くところから始めたい。
2戦後日本における「地域」概念の出自
 日本語としての「地域」概念は、まず戦前期の地方自治制度や都市計画制度に由来する法律用語として定着したが、1950年代初頭でも馴染み薄い用語だったという。しかし、その後「地域」概念は瞬く間に日本社会に普及した。そのきっかけは何だったのか。
 表1に「地域」の初出を確認すると、戦後間もない頃の労働闘争の戦術として登場した。GHQが労働組合の結成を奨励すると、極度のインフレと食糧難のなか、組合数は一気に膨れ上がった。その勢いから労働組合全国組織の指揮の下に政権打倒を目指す2.1ゼネストが準備されると、GHQは態度を急変させてゼネスト禁止を命じた。弾圧を避けたい組合側は戦術を地域闘争に切り替えた。地域ごとの賃上げ闘争を行いながら、地域住民の要求を汲み上げ協力し、やがて家族ぐるみ、町ぐるみの闘争となった。全国各地の教師もまた、住民の協力を得て自らの労働闘争に立ち、一方で住民を抑圧する古い共同体の支配関係を断ち切るために活動した。
 歴史学者の金原左門にとって、帰省した故郷の町で生活に喘ぎながらも未来への明るさの中で共同の力で町を活性化しようとする友人たちと対話したことこそ、「地域とのそもそもの出会い」であった。戦後民主主義は生活の場に流れ込み、津々浦々で個別の課題を解決しようとする草の根の活動を促していった。その体験こそが、地域史研究を追求する基点になったという。
 ところがその後、自民党政府の保守管理化政策が次々に実施され、草の根民主主義の活動を無化する大企業利益優先の地域開発政策が展開された。表1にみるように、高度経済成長による社会変動の顕在化した1960年代前半に、「地域」概念を組み込んだ政治理論や教育理論が一斉に開花した。前者は、政治学者、総評(自治労)、社会党が、町内会に残るボス政治など草の根保守を打ち破るために展開した地域民主主義の主張である。後者は、日教組の設立した国民教育研究所における歴史学者上原専禄の地域研究に基づく国民教育の提唱である。
 このような「地域」理論は、1973年の石油ショックによる高度経済成長の終焉によって、再び活気付く。1960年代に直面した高度成長期の矛盾が改めて問い返され、新たな社会指針を探し求める広範な議論の中で「地域」概念がキーワードになった。この時期、歴史学において戦後民主主義と「地域」の関係が確認されると同時に、地域主義が未来の理想社会を構築するため学際的な文明論を提唱した。地理学者もこうした議論に参入した。
3「地域」概念から例示される発想力
 地域民主主義は、それまでの地域闘争の経験を踏まえ、組織労働者の協力の下で民主的地域組織を結成し、職場とともに地域で革新運動前進の土台を築く主張である。ここでの「地域」は、市町村、校区、町内という小スケールの居住地区を指す。町内ごとの投票傾向などを精密に調べて政治地図を作成し、地域の特殊性を把握するなど、政治地理学的な発想も示すが、この「地域」は同時に居住社会である。末端活動家の独創的活動にその成否はかかっていたし、国民的連携を勝ち取るための学校と位置づけられたように、目的志向性を帯びた、人々のネットワークなのである。また大企業の利益のために自治体に合併や社会資本整備を押し付ける国家政策に対して、生活経験の現場を固守しようとするスケールの闘争でもあった。なぜなら大企業や国家の巨大権力に対抗しうる民主的な人間を教育するには、人間としてのギリギリの欲求を訴えて生きぬいている自分の地域の具体的な歴史地理的現実の中で痛みを自覚してこそ、普遍的な人類の権利を自分の問題として感じ取る人間になりうる。労働生活の歴史を宿す「地域」は、連帯による意味と情念を全身にまとわせて変革へ向かう実存的な場なのである。

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