抄録
就職先として海外を選び,自らの意志で「海外で働く」ことを選択することがかつてほど珍しくなくなっている.経済のグローバル化によって現地採用として雇用される海外勤務が増加している.それに伴い,海外就職に内容を特化した就職情報誌が刊行されたり,大手人材紹介会社の求人欄には海外就職のカテゴリーが設けられたりしている.また,海外で働くことに対する心理的あるいは制度的ハードルが低くなり,企業から派遣される駐在員のような一種の「エリート意識」を持つのではなく,いわば海外就職が大衆化しているともいえる.
Thangほか(2002,2004)によると,1994~95年に日本人の海外就職ブームが起こったが,それはホンコンでの就職がマスコミで取り上げられたことで火がついた.当時,日本における深刻な景気後退に伴う就職の困難さも海外での就職に目を向けさせたといえる.また,シンガポールで働く現地採用の日本人女性は駐在員の支援サービスを行う補助的地位にあることが多く,コストの高い駐在員の代わりの安価な労働力で,契約年限のある不安定な地位が多いなど,雇用の柔軟性が反映されている.
そこで本研究はサンフランシスコを対象地域として海外就職者の就業と生活に関する調査から,日本人女性の海外就職と海外生活体験の実態と,彼女たちにとってのそれらの意味について考察を試みた.その結果は次の通りである.シンガポールで働く日本人女性の調査では,企業側に「日本人らしさ」に対する需要があり,就業する女性たちも「日本人らしさ」を海外就職と生活の両面で再認識することが指摘された(中澤ほか,2008).サンフランシスコでは,調査対象者の多くが非日系企業に就業しており,彼女たちは就業面では留学先の大学で学んだ分野の専門性と関係する職に就き,日本人としての属性は求められていない.彼女たちは単なる留学体験ではなく海外での就業体験を自分自身のプラスアルファとしてとして持とうとし,労働習慣や生活体験を通じて自らの「日本人らしさ」を再認識するものの,生活体験においてはアメリカナイズされた生活様式を日々送ることに満足感を感じている.
Thangほか(2002)は,シンガポールで働く日本人女性を「経済的移住者」ではなく「精神的移住者(spiritual migrant」」と位置づけた. 彼女たちの移動はより高い賃金を求めた経済的理由からではなく,西洋と日本という構築された認識に基づいた動機に特徴があり,異文化との出会い,自己発見の要素をもつことが指摘されている.サンフランシスコで働く日本人女性も日本での就業状態や生活から逃れようとしている点や,アメリカで取得した専門的知識や資格が日本では十分に生かすことができない可能性があるにもかかわらず,将来的な見通しを十分に持っているとはいえない点,海外での就業体験や生活体験自体に満足感を持っている点において,「精神的移住者」と共通するものがある.