抄録
19世紀後半から島根県西部=石見(いわみ)地方では、粗陶器生産を中心とする 石見焼 と、赤瓦で有名な 石州瓦(せきしゆうがわら) という二つの窯業製品が興隆し、とくに石見焼の代表的製品である水甕(はんど)は、江戸時代末期以降、海運により日本海沿岸地域に広範に流通したことが報告されている(阿部 2008,2009)。本報告では、韓国鬱陵島における現地調査を中心に、そこで確認された日本産の窯業製品(陶器の甕と瓦)について、その特色をもとに、戦前における島根県西部の窯業製品の生産・流通との関連を考察する。
現地調査により、鬱陵島内最大の集落 道洞 をはじめ少なくとも6集落で、キムチ漬けなどに用いられる韓国製の甕=甕器(オンギ)とは明らかに異なり、島根県西部の「石見焼」の水甕(「石州甕」)と同様の特色を持つ甕の所在が確認できた。また、かつて日本人が最も多く住んでいた 道洞 で、日本製の瓦の家屋も確認できた。瓦はすべて甕と同じ茶色の釉薬が使われ光沢があり、瓦当の部分に窯印があることなどから大正期の島根県江津市周辺でつくられた石州瓦であることが分かった。
阿部のこれまでの報告と合わせ、韓国鬱陵島には島根県西部で戦前に生産されたと見られる石見系の水甕・石州瓦があること、鬱陵島にある石州瓦の窯印は北陸~北海道の日本海沿岸各地に現存する石見焼の水甕のものと同じ印があることなどが分かり、日本海海運による戦前の島根県西部の窯業製品の流通が、国内の日本海沿岸地域に加え、少なくとも韓国鬱陵島にも及んでいたことが明らかになった。