2024 年 29 巻 2 号 論文ID: 2314
Abstract: Unmanaged bamboo forests are spreading in several parts of Japan. Bamboo forests tend to have low plant species diversity due to the lack of sunlight. Gastrodia pubilabiata Y. Sawa and G. confusa Honda et Tuyama, which are threatened plants in Japan, are often found in bamboo forests. Both species are mycoheterotrophic plants and theoretically grow in dark environments, along with their symbiotic fungi. Previous studies have suggested that G. pubilabiata and G. confusa prefer forest understories that do not fully cover the vegetation. This environmental condition may match the understories of bamboo forests. In this study, we tested the hypothesis that bamboo spread has created a long-term stable forest harbouring G. pubilabiata through the establishment of a dark environment with little vegetation cover. We focused on G. pubilabiata as there has been minimal misidentification among recently collected specimens. We collected specimen records for the Kanto region of Japan, and established a land cover map using a time series of aerial photographs of the surrounding region for analysis. We also conducted a field survey of G. pubilabiata and analysed its local environmental conditions. Our analyses of the specimen records and field surveys showed that G. pubilabiata inhabits a bamboo forest within the long-term stable forest. Our findings suggest that bamboo forests can harbour this threatened plant species depending on the local conditions. Although we were only able to evaluate this role in the short term, our results suggest that bamboo forests can have positive effects on regional biodiversity. Therefore, the role of unmanaged bamboo forests in the conservation of regional biodiversity should be reconsidered.
要旨:
管理放棄に伴い、荒廃した竹林が各地で広がっている。竹林内では暗い環境が形成されるため、そこに生育できる植物種は限られる。このため、竹林の拡大は一般に生物多様性に対して負の影響をもたらすと考えられている。その一方で近年、絶滅危惧種であるクロヤツシロランGastrodia pubilabiata Y.SawaやアキザキヤツシロランG. confusa Honda et Tuyamaが竹林内に生育していることが多数報告されている。ヤツシロラン類は菌従属栄養植物であるため、光合成の必要がなく、共生菌が存在していれば暗所でも生育できる。さらに既往研究において植被率が低い林床を好む傾向があるとされており、これら条件は竹林が形成する環境に合致する。すなわち、竹林の拡大は、ヤツシロラン類の生育可能範囲を広げている可能性がある。そこで本研究は、竹林に生育することが知られているヤツシロラン類のうち、比較的近年に採取された標本に含まれる誤同定が少ないと期待できるクロヤツシロランに注目し「暗所を作り出す竹林」と「共生菌を保持する森林」という条件が揃うことで竹林はクロヤツシロランに生育環境を提供するという仮説の下、竹林が絶滅危惧種に生育場を提供している可能性を検討した。関東のクロヤツシロラン生育地について標本情報(主に2000年代以降)を収集し、過去に遡って複数時期の空中写真を利用して採取地周辺における竹林の有無および土地利用の変化を検討した。さらに現地調査を行い、実際に本種が確認できた地点の生育環境および、空中写真によって周辺の土地を検討した。その結果、標本採取地点、現地調査地点ともに、クロヤツシロランの生育地はおおむね竹林であること、かつ長期的に面積が安定した森林内であるという共通傾向が見いだせた。この結果は、拡大した竹林が絶滅危惧種であるクロヤツシロランに生育場を提供している可能性を示唆するものである。ただし、今後ますます竹林が拡大し、森林内の優占種が完全にタケ類になってしまった場合にもクロヤツシロランの生育条件が維持されるかどうかは本研究では明らかにできなかった。竹林は一般に生物多様性に対して悪影響を与えるものと考えられているが、これに正の影響を受ける種が存在しうることについても理解を深め、適切な管理方法を議論していくことが重要である。
近年、各地の里山で竹林が管理放棄されて荒廃し、その範囲が拡大している(藤井・重松 2008; 徳永ほか 2007; 鳥居・奥田 2014)。かつて竹林は、タケノコや竹稈等が人間に利用される過程で継続的に管理されていたが(藤井・重松 2008; 大野ほか 1998)、それら生産物の需要減少に伴って管理放棄が進み、いわゆる放置竹林が増加した(藤井・重松 2008; 徳永ほか 2007;真鍋ほか 2020; 大野ほか 1998)。日本で積極的に利用されてきたタケの種は主にマダケPhyllostachys reticulata (Rupr.) K.Koch、モウソウチクPhyllostachys pubescens (Carrière) Houz.、ハチクPhyllostachys nigra (Lodd. ex Loud.) Munro var. henonis (Mitford) Stapf ex Rendleであるが(鳥居・奥田 2014; 林野庁 2018)、これらはいずれも数か月~1年で成木になる多年生常緑の植物であり(山本ほか 2004;林野庁 2018)、地下茎をのばしてその生育範囲を急速に広げる(石賀ほか 2001)。そのため、放置竹林から周辺の人工林や広葉樹林へと侵入することで分布域を拡大し、さらに放置されることで周辺の竹林化が進むという悪循環が生じている(真鍋ほか 2020;林野庁 2018; 鳥居・奥田 2014)。竹林の侵入・拡大は森林の公益的機能を阻害する(林野庁 2018;山本ほか 2004)、地域の生物多様性を低下させる(鈴木 2010;宮崎ほか 2015; 鳥居・奥田 2014)などの悪影響をもたらす要因として適正管理や駆除の必要性が議論され(篠原ほか 2014;宮崎ほか 2015;鈴木 2018)、タケ類の駆除および、それに伴う植生転換も各地で実施されている(片野田ほか 2005;近藤ほか 2014;石田ほか 1999)。
管理放棄された竹林では、放置期間に応じてタケ類の生育密度が増加し、これに伴って林内照度が低下する(小谷ほか 2012;瀬嵐1989;鈴木 2010)。このため、竹林内で生育できる植物種の多くは常緑、多年生で高い耐陰性をもつ陰性植物(山本ほか 2004;小谷ほか 2012)である。例えば木本ではシロダモNeolitsea sericea (Blume) Koidz.、ヒサカキEurya japonica Thunb. var. japonica、テイカカズラTrachelospermum asiaticum (Siebold et Zucc.) Nakai var. asiaticum、低木ではサルトリイバラSmilax china L.、ヤブコウジArdisia japonica (Thunb.) Blume、ヤブツバキCamellia japonica L.、アラカシQuercus glauca Thunb.、草本ではジャノヒゲOphiopogon japonicus (Thunb.) Ker Gawl.、ゼンマイOsmunda japonica Thunb.、ドクダミHouttuynia cordata Thunb.などが挙げられる(瀬嵐1989;小谷ほか2012;鈴木 2010;山本ほか 2004)。竹林内ではこれら陰性植物以外の植物が生育することは困難と考えられており、その拡大は地域の生物多様性に対して負の影響を及ぼすという考え方が一般的となっている。
その一方で近年、クロヤツシロランGastrodia pubilabiata Y.Sawa(福永ほか2007; 赤井・香川2007;福永ほか2008;根本ほか2016;末次・山下 2019;斉藤ほか 2020)およびアキザキヤツシロランG. confusa Honda et Tuyama (福永ほか2008; 早川ほか 2022)が竹林内で生育していることが複数報告されている。クロヤツシロランは1980年に新種記載され、アキザキヤツシロランから区別されるようになった (澤 1980)。このため、特に古い時代に採集され、アキザキヤツシロランと同定された標本にはクロヤツシロランが混在している可能性があるが (赤井・香川2007)、クロヤツシロランと同定された標本にアキザキヤツシロランが混在する可能性は低いと考えられる。そこで、本研究はクロヤツシロランに注目した。
本種は、27の都府県(東京都では伊豆諸島のみ)でレッドリストに登録されている絶滅危惧植物である(環境省生物多様性センター 「いきものログ」https://ikilog.biodic.go.jp/Rdb/; 2023年4月3日確認)。本種は、ラン科植物の中でも葉緑素を持たない菌従属栄養植物であり、光合成を行わず、共生する菌類からすべての栄養の供給を受けている(馬田ほか 2000)。そのため、光環境が悪く、他の植物があまり生育できないような暗所でも生育できるとされている(Bidartondo et al. 2004; Suetsugu et al. 2019; 大和ほか 2009)。加えて、下層植生の繁茂した場所では、個体密度が低い傾向も認められている(赤井・香川 2007)。このことは、本種は竹林下のような暗所かつ、林床植被率が低いハビタットを好んでいることを示唆する。一方、本種が属するラン科植物は、共生菌に対する依存度が非常に高く、種子発芽及びその後の成長の可否は共生菌類と関係を結べるか否かにかかっている(大和ほか 2009;齋藤 2020)。特に菌従属栄養性を持つ本種の生育には、菌類の地下ネットワークが強固に張り、栄養を供給し続けられるような長期間安定した森林が求められると考えられている(塚本 2016)。以上を踏まえると、クロヤツシロランの生育には、暗所で林床植被率が低い、かつ共生菌が存在するという2つの条件が揃うことが必要であると考えられる。
これらクロヤツシロランの生育に必要と考えられる2つの条件のうち、竹林は暗所かつ林床植被率が低いという環境条件を創出する。他方、共生菌が存在する環境は、森林が長期間安定的に存続することによって創出されると考えられている(塚本 2016)。タケは地下茎をのばして周囲の森林に侵入するため、長期間安定的に存続している森林にタケが侵入し、竹林を形成することで、1) 暗所かつ林床植被率が低い、2) 森林が長期間安定的に存続している というクロヤツシロランにとって好適な生育条件を満たす可能性がある。これは、一般に生物多様性に対して負の影響をもたらすと考えられてきた竹林の拡大が、絶滅危惧種であるクロヤツシロランのハビタットを形成するという生物多様性に対する正の影響を持つ可能性があることを示唆する。
そこで本研究では、クロヤツシロランの標本情報、現地調査および時系列の空中写真によって上記の仮説、すなわち近年面積を増やしていると考えられる「安定的に存続している森林に侵入した竹林」が本種にとって好適な生育地を提供している可能性を検証した。はじめに、クロヤツシロラン標本の採集地点情報を収集し、空中写真を利用してその生育地が竹林であることを検証した。次に、標本採集地点が長期間安定して存続している森林であることを検証するために、複数時期の空中写真を用い、約50年間の森林面積の変動を定量した。さらに現地調査を行い、実際にクロヤツシロランの生育が確認できた地点について、標本情報を用いたものと同様の検討を行い、その生育環境が「安定的に存続している森林に侵入した竹林」に合致するかどうかを検証した。
標本情報を用いた検討
1)調査地東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、栃木県、茨城県、群馬県の一都六県を含む関東地方を対象に、標本の採集地点情報を収集した。本種は関東地方以外でも広く分布しているが、本研究においては、現地調査地点を含めて気候や植生等が著しく異ならない範囲として、関東地方に限定した。2022年1月に、サイエンスミュージアムネット(「自然史標本情報」https://science-net.kahaku.go.jp/, 2023年4月3日確認)の自然史標本情報検索を使用し、「クロヤツシロラン」と入力して得られたものを全て入手した。このうち関東で発見され、緯度経度の記載があるものを抽出した。標本はそれぞれ採集年が異なるため、後の作業で考慮するために記録した。続いて、緯度経度情報をもとにQGIS3.16(「QGIS」https://qgis.org/ja/site/, 2023年4月3日確認)を利用して、クロヤツシロラン標本採集地点のGISポイントデータを作成した。緯度経度の値はサイエンスミュージアムネットから入手した値をそのまま利用した。なお、サイエンスミュージアムネットでは、緯度経度の情報は標本を収蔵する博物館等から提供された値をそのまま利用しているため、特に測量法の改正によって基準が世界測地系に変更される2002年4月より前に採取された標本の採取地点の座標値について、日本測地系に従っている可能性がある。この場合、位置情報に約450 mのずれが生じる(国土地理院「3. 日本測地系と世界測地系」https://www.gsi.go.jp/LAW/G2000-g2000-h3.htm, 2023年10月31日確認)。ただし、後述するとおり、分析対象とした34点のうち、2002年以前に採取された標本はわずか2点であったこと、生育地周辺の土地利用は標本採集地点から半径1kmの同心円内の面積を利用しており、450mのずれが生じたとしても、土地面積の傾向が大きく変わるものではないと判断できることから、特に座標値の補正等は行わなかった。
2)生育地周辺の土地利用クロヤツシロランの標本採集地点における時系列順の土地利用図を作成し、生育地の周辺環境を定量した。QGIS3.16を利用して、クロヤツシロランの標本採集地点から半径1㎞の同心円を発生させた。同心円を半径1㎞に設定した理由は、既往文献(斉藤ほか 2020)において、本種の種子は微細であり、風によって約1.5km程度は十分に飛散可能と考えられていること、緯度経度の小数点以下の精度にばらつきがあり、最大1km程度の誤差が存在しうると判断したこと、生育地点が近隣であった場合の重なりが比較的小さくなったことによる。土地利用の判読には地理院タイル(「地理院タイル一覧」 https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html, 2023年4月3日確認)の年度別空中写真より「1961年-1969年(以下1961年とする)」、「1974年-1978年(以下1974年とする)」、「1987年-1990年(以下1987年とする)」、「2007年以降」の4つの年代のものを使用した。まず、半径1kmの同心円内における竹林の有無について目視で判読した。判読の際、同心円内に森林とは明らかに異なり、竹林と判断できる塊が確認された場合に、竹林があると判断した。なお、クロヤツシロランの採集された年代に竹林が存在するかを確認するため、判読に使用する年度別空中写真について、標本採集年代が1999年以前のものは1987年の空中写真を、2000年以降のものは2007年以降の空中写真を用いた。次に、半径1kmの同心円内の土地利用を判読し、森林、農地、市街地の3つに分けてGISポリゴンデータを作成した。ポリゴンデータを作成後、半径1kmの同心円内における各土地利用の面積を算出した。
3)分析クロヤツシロランの標本採集地点周辺の土地利用に類似傾向等があるかどうかを評価するため、標本採集地点から発生させた同心円内の森林面積、農地面積、市街地面積の各年代における、地点間の平均と標準偏差、変動係数(標準偏差 / 平均)を算出した。さらに、標本採集地点における森林の安定性および、過去から現在にかけての土地利用変化を評価するため、1961年、1974年、1987年、2007年以降の間で、全標本採集地点から発生させた半径1kmの同心円内における森林面積、農地面積、市街地面積それぞれの、同一地点における、年代間の平均、標準偏差、変動係数を算出した。この分析は、現在クロヤツシロランが生育している可能性が高い地点において、過去から現在にわたる土地利用の変化を評価することが妥当と考えたため、対象は2000年以降に採取された標本のみとした。なお、1987年以前の空中写真において、画質が悪い、写真の空白地帯にあたる等によって標本採取地点周辺の土地利用が読み取れなかった年代があった場合は、その年代における土地面積は含めずに各統計量を計算した。
現地調査に基づく検討
1)調査地と調査方法地域の自然愛好家の方々へヒアリングを行い、東京都八王子市にある東京都立大学周辺で、過去5年以内にクロヤツシロランが観察できたという情報提供を受けた場所において、2022年9月、10月に現地調査を行った。具体的な場所は、東京都立大学南大沢キャンパス(東京都八王子市南大沢)、長池公園(東京都八王子市別所)、都立長沼公園(東京都八王子市長沼町)、野猿峠(東京都八王子市下柚木)である。八王子市は、東京都心から西へ約40kmの距離に位置している。月平均気温は最低3.4度(1月)、最高26.4度(8月)で、年平均降水量は1,643mmである(気象庁「平年値 八王子」https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/nml_amd_ym.php?prec_no=44&block_no=0366&year=&month=&day=&view=, 2023年4月3日確認)。なお、現地調査を行った地点は、いずれもサイエンスミュージアムネットから取得した標本採取地点に含まれていない。調査方法は、1~4名で現地を訪れ、過去の観察報告をもとに、本種が生育している可能性が高いと判断できる竹林を探索した。各回での探索時間は2時間程度であった。
2)土地利用図の作成と分析標本の採集データ分析に基づいて得られた生育地周辺の環境条件が、現地調査によって得られた生育地にも当てはまるかを検討するため、現地調査において本種の生育が確認できた地点周辺の土地利用について標本データと同様の分析を行った。まず、現地調査によってクロヤツシロランの生育を確認した地点のGISポイントデータを作成し、半径1㎞の同心円を発生させた。その後、同心円内の1961年、1974年、1987年、2007年以降それぞれの空中写真を判読し、森林、農地、市街地の3つに分けてGISポリゴンデータを作成した。続いて1961年、1974年、1987年、2007年以降それぞれの面積、標準偏差および、この期間における各土地利用面積の時系列の変動係数を算出した。
標本の既存情報を用いた検討
1)標本情報の収集サイエンスミュージアムネットの自然史標本情報で得られたクロヤツシロランの標本のうち、関東で採取され、緯度経度の記載があるものは37点であった。確認できた地点を図1に示す。大部分は神奈川県で採取されたものであり、茨城県、千葉県それぞれでは1点のみ確認された。標本の採集年代は1989年から2018年であり、全てクロヤツシロランが新種として記載された1980年以降に採集されたものであった。半径1㎞の同心円内の竹林を判読する際に使用する空中写真について、採集年が1989年、1993年、1996年の3地点は1987年の空中写真を、採集年が2000年以降の34地点は2007年の空中写真を用いた。緯度経度の精度については、最も精度が荒いもので10進法表記の小数点第1位まで、最も精度が細かいもので小数点第10位以下までであった。
2)標本情報および採取地点周辺の土地利用面積標本採集地点から発生させた半径1㎞の同心円内における竹林パッチの有無および各土地利用面積を表1に示す。1987年の空中写真は画像が不鮮明だったため、標本採集年が1999年以前の3地点については竹林を判読することができなかった。2007年以降の空中写真については竹林が判読可能であり、採集年が2000年以降の34地点中31地点で竹林パッチが確認できた(表1)。半径1㎞の同心円内における森林面積、農地面積、市街地面積のうち、すべての年代で森林面積が最も大きかった(表1)。平均農地面積は1961年時点で平均森林面積と同程度あったものの、時間経過とともに減少していった(表1)。平均市街地面積は、1961年時点は平均森林面積の半分以下であったが、2007年以降には平均森林面積と同程度となった(表1)。
3)標本採取地点周辺の土地利用変化標本採取年が2000年以降である34の採集地点から発生させた半径1㎞の同心円内における森林面積、農地面積、市街地面積それぞれの各年代における変動係数(CV)を表2に示す。基本的に森林のCVは相対的に小さい値で安定しており、農地のCVは増加、市街地のCVは減少傾向にあった(表2)。2007年以降の最新空中写真から判読した土地利用のCVのうち、最も大きかったのは農地面積で1.64、最も小さかったのは森林面積で0.67、市街地面積は森林と同程度の0.68であった(表2)。
標本採取年が2000年以降である34の標本採集地点から発生させた半径1㎞の同心円内における森林面積、農地面積、市街地面積の4時期における面積変化を意味するCVを表3に示す。3つの土地利用のうちCVが最も小さい、すなわち面積変化が小さかったのは森林面積の0.24±0.32であった(表3)。続いて、市街地、農地の順番でCV、すなわち面積変化が大きくなった(表3)。図2に細線で各標本採集地点及び後の現地調査地点における4時期の森林面積、農地面積、市街地面積の推移を示す。標本採集地点において時間経過とともに、おおむね森林面積は横ばいで安定、農地面積は減少傾向、市街地面積は増加傾向であることが見て取れた。
現地調査の結果
1)現地調査現地調査の結果、長池公園、都立長沼公園、野猿峠の3カ所における竹林でクロヤツシロランの生育を確認することができた(図3)。なお、本種は絶滅危惧種であることから、確認地点の情報を詳細地図として表記することは避けた。各採集地点間の直線距離について、長池公園―都立長沼公園間は約4.1km、都立長沼公園―野猿峠間は約850m、野猿峠―長池公園間は約3.6kmであった。長池公園における発見場所はマダケ林で、林床は大半がタケのリターで覆われていた。長沼公園における発見場所は古いモウソウチクの間に若いマダケが侵入している竹林であり、林床はタケのリターの他にアズマネザサPleioblastus chino (Franch. et Sav.) Makinoの生育と、枯死した竹稈や樹木の幹が散見された。野猿峠における発見場所は、モウソウチクのみからなる老齢林で、林床はタケのリターと枯死した竹稈が見られた。なお、野猿峠では、同所的に近縁種であるアキザキヤツシロランも多数生育していることが観察された。
2)現地調査場所の土地利用面積と分析各地点から発生させた半径1㎞の同心円内における土地利用面積を表4上部に示す。森林面積は1961年、1974年、1987年の森林面積は他の土地利用面積と比較して最も大きかったが、2007年では市街地面積が最も大きくなった(表4)。各土地利用面積の変化を意味するCVを表4下部に示す。面積変化のCVは森林面積が0.22±0.06で最も小さく、続いて農地、市街地の順で大きくなった(表4)。図2の太線で現地調査地点の土地被覆面積の推移を示したが、標本採取地点と同様、森林は相対的に横ばい、農地面積は減少傾向、市街地面積は増加傾向であることが見て取れた(図2)。
本研究では、近年その面積を増やしていると考えられる「安定的に存続している森林に侵入した竹林」という条件が絶滅危惧植物であるクロヤツシロランのハビタットになるという仮説を設定し、標本情報と現地調査にもとづく検証を行った。その結果、本種の生育地の多くは竹林であり、かつ、少なくとも最近50年間は面積が安定している森林内である傾向が検出された。仮説は基本的に支持され、竹林が作り出す環境は条件次第で絶滅危惧種のハビタットとして機能する可能性を示唆するものであった。
標本情報に基づくクロヤツシロランの生育可能条件
標本の採集地点における半径1㎞圏内の森林における竹林パッチの在不在を確認したところ、大部分で竹林パッチの存在が確認できた。必ずしも標本採集地点のGISポイントデータが竹林パッチ内に含まれているわけではなかったが、ポイントデータを作成した位置情報の精度にはばらつきがあったこともあり、おおむね標本採集地点は竹林環境であったと判断できた。既往研究においても、関東に限らず本種が竹林環境で発見されたことが多数報告されている(福永ほか 2008;斉藤ほか 2020;根本ほか 2017;赤井・香川 2007)。このことからも、本種は少なくとも現在、竹林を一つの主要な生育地としていると考えられる。
標本採集地点周辺の土地利用を分析した結果、クロヤツシロランの標本採集地点では少なくとも約50年間にわたり森林面積の変動が小さい傾向が見いだされた。このことは、本種が長期間にわたり安定的に存続している森林を生育地とするという予測を支持する結果であった。森林の改変が少ないことは、外生菌根菌や腐生菌を含めた土壌環境が安定していることの指標となりうる。菌従属栄養植物は外生菌根菌や腐生菌と共生関係を結んでおり、菌を通して樹木の光合成産物を利用している(齋藤 2020;大和ほか 2009)。長期間安定的に存続している森林では、これら菌類も安定的に存続できており、クロヤツシロランはこれらと安定的に共生関係を結ぶことができていると推測される。小柳・富松(2012)は、人為的な土地改変は、埋土種子の消失、植物とポリネーターや菌根菌などとの生物間相互作用を喪失させ、その影響は特に土壌に対して長期的におよぶことを指摘している。森林の安定性は、クロヤツシロランが生育するための生物間相互作用、すなわち本種と共生菌の関係の安定を担保していると考えられる。ただし、本研究では森林の安定性を森林面積によって評価しており、森林の遷移状況や森林内に竹林が侵入すること自体の影響は評価していない。とはいえ、多くの標本採集地点で竹林パッチが存在したことや、竹林内で本種が確認されたという既往研究が多数あることから、少なくとも現時点においては、竹の侵入は森林が保持するクロヤツシロランの生育条件を損失させてはいないと判断できた。
現地調査に基づくクロヤツシロランの生育可能条件
クロヤツシロランの観察報告がある竹林で現地調査を行い、3地点で生育が確認できた。3地点と数は多くないものの、既往研究(斉藤ほか 2020;根本ほか 2017;赤井・香川 2007)および標本採集地点の分析結果を含め、本種は竹林環境下で生育可能であることを補足する結果となった。加えて、現地調査を行った地点の中で、比較的下層植生が多かった場所では、本種が1株のみ発見できたことに対し、下層がタケのリターで覆われ、朽ちた竹稈が多数ある場所では、本種を30~40株発見することができた(観察情報)。これは赤井らの産地報告(赤井・香川 2007)で認められた、下層植生の繁茂した場所では発生する個体が少ないという傾向と一致した。本種は光合成を行わないため、仮に下層植生の多い環境で他植物に光資源を占有されても生育可能なはずである。しかし、複数の既往研究でも本種の生育地の多くは下層植生が少ないことが報告されており(赤井・香川 2007;福永ほか 2008;斎藤ほか 2020)、下層植生の繁茂は本種の生育に負の影響を与えている可能性が高い。末次(2015)は、ヤツシロラン節の多くの種は、暗い林床で活動するショウジョウバエを送粉者として利用すること、ヤツシロランの生える周辺には腐生菌の子実体が出現する傾向があることから、近隣に生えるキノコを送粉者の誘引に利用する可能性を指摘している(末次 2015)。キノコは一般にシダ類や笹が密生する林床では育ちにくい(「きのこ図鑑」https://kinoco-zukan.net/、2023年4月3日確認)ことから、本種は林床植物の少ない環境を作り出す竹林下に生育することで、キノコを送粉者の誘引に利用し、繁殖を効果的に行っている可能性がある。実際、本研究において実際にクロヤツシロランが確認できた地点の周辺にはキノコの子実体が複数観察され、クロヤツシロランの花には、行動の詳細は不明であるものの、微小なハエ目と思われる昆虫が訪花していることが観察できた。
現地でクロヤツシロランが確認された地点周辺1km内の土地利用も、標本採集地点と同様に、森林面積の変動が小さい、すなわち面積が安定している傾向が見られた。ただし、現地調査で本種を発見できた3地点のうち、都立長沼公園―野猿峠間の距離は約850mであり、本研究で利用した半径1㎞の同心円内に収まるもので、実質的には2地点における検討となったことには注意する必要がある。さらに、本研究では現地調査において竹林内の照度や土壌組成、菌相などは検討していない点にも注意する必要がある。とはいえ、本種が確認された竹林は、長池公園ではマダケ優占、野猿峠ではモウソウチク優占、長沼公園では2種が混在するといったように明らかな差異があり、観察する限り、林床の状態にも差異があったことから、本種が極めて特異的な竹林環境を必要としているとは考えにくい。「安定的に存続している森林に侵入した竹林」という条件が、クロヤツシロランの生育場所を形成する上で重要な要因であると判断してよいだろう。
竹林と安定した森林の組み合わせが生み出す効果
標本の既存情報を用いた検討と現地調査の両方から、クロヤツシロランは「安定的に存続している森林に侵入した竹林」を生育地とするという結果が得られた。齋藤(2020)によると、本種はクヌギタケ属及びホウライタケ科の腐生菌と共生関係を結ぶ。腐生菌は倒木や落葉が豊富で、それら有機物が分解されにくい暗い林床を好む(福田ほか 2003)。この環境は、暗い林床を作る竹林で、かつ堆積物が豊富な長期間森林が保たれた場所が持つ特徴とも合致する。さらに、タケ類は成長速度が速く、急速に暗くて下層植生の少ない環境を作り出す(瀬嵐 1989;鈴木 2010)ため、竹林が森林に侵入することで、クロヤツシロランの生育可能な範囲を拡大させる要因となっていることが考えられる。竹林の分布拡大とともにタケにつく腐生菌も拡大すると考えられるが、キヌガサタケ Dictyophora indusiata (Ventenat: Persoon) Fischerをはじめとするスッポンタケ類の腹菌は竹林に発生しやすく、特殊な臭気でショウジョウバエ類やイエバエ類といった昆虫を誘引することができる(山口ほか 2001)。先述のとおり、クロヤツシロランはショウジョウバエ類を送粉者として利用することから(末次ほか 2015;福永ほか 2008)、竹林環境の形成は本種の繁殖面においてもメリットをもたらす可能性が考えられる。
残された課題
本研究はあくまで、クロヤツシロランが安定的に存続している森林内に存在する竹林に生育するという共通傾向を検討したのみであり、本種の生育に関わるメカニズムについては不明である点に注意する必要がある。本種の生育には多様な生物が関係しているため、森林の安定的な存続がもたらす生物間相互作用、例えば本種の種子散布と共生菌の分布範囲の両方に規定されると考えられる分散や、送粉者の有無による影響も考えられる。さらに、ヤツシロラン類(クロヤツシロラン、アキザキヤツシロラン、ハルザキヤツシロランGastrodia nipponica (Honda) Tuyama)の共生菌は、同一のラン種であっても竹林とスダジイ林、スギ林で異なる菌類相と共生しているという報告もあり(Kinoshita et al. 2016)、竹林自体が共生微生物相に影響している可能性もある。これらメカニズムの検討は、今後の課題として重要であろう。
安定的に存続している森林内に竹林が形成されることがクロヤツシロランの生育にメリットをもたらすと考えられた一方で、森林は一度優占種がタケになる、すなわち竹の純林化すると、他の植生に移り変わる可能性が非常に低いと考えられている(瀬嵐 1989;鈴木 2010)。そのため、本研究で示されたような、安定的に存続している森林に侵入した竹林は、伐採等の管理を行わなければ以後長期的に維持され、さらには拡大も進むと考えられる。このため、竹林環境がクロヤツシロランの生育にとって長期的に好適な環境を提供できるかどうかは、慎重に判断する必要がある。土壌有機物の蓄積と維持は、植物と分解者の相互作用のもとに成り立つ(武田 1994)ことから、地上部の植生の変化は土壌の有機物にも影響を与えると考えられる。将来的に、クロヤツシロランが生育している安定的に存続している森林に侵入した竹林が、他の樹種を駆逐してタケの純林へと移行し、リターもタケ由来のものが占めるような状況になった際には、土壌の有機物も変化し、これは共生菌にも影響する可能性がある。実際、Li et al.(2017)は、モウソウチクの侵入は、広葉樹林における土壌菌類相を変化させることを通して土壌栄養を変化させ、その場に生育する植物の生育に影響する可能性を指摘している。クロヤツシロランは竹林と並び、スギ等の植林地においても多く観察されており(赤井・香川 2007; 根本ほか 2017; 斉藤ほか 2020)、本種の生育にとって竹林自体は必須ではないと考えられる。さらに、地上部の森林伐採や植生転換、放棄による二次遷移が土壌生態系にどのような影響を与えるかを評価する研究も実施されているが(金子・伊藤 2004)、竹林拡大に伴う森林の植生の変化と土壌、地下生態系の関係、さらにはこれら変化がクロヤツシロランの生育可能性も及ぼす影響について、今後の研究の発展が望まれる。
本研究では、オープンデータとして公開されている標本データを用いて本種の広域的な生育地を把握したが、標本データには誤同定が含まれている可能性があることは認識しておく必要がある。福永ほか(2008)は、結実個体の標本からクロヤツシロラン、アキザキヤツシロランを区別することの困難さを指摘しており、本研究で用いた標本にアキザキヤツシロランが含まれている可能性を否定することはできない。全ての標本データについて実際に標本を閲覧の上で再同定を行い、データの質を担保することができれば、標本利用の促進および、標本データの質を向上させるという点から理想的であるが、これは容易なことではない。ただし、福永ほか(2008)がクロヤツシロラン、アキザキヤツシロランは生育環境がかなり近いことを指摘している。これに加えて、本研究における現地調査においても、2種が同所的に生育していることが観察できた。このことから、少なくとも本研究においては、仮に検討に用いたクロヤツシロランの標本データにアキザキヤツシロランが含まれていたとしても、結果にはほぼ影響がなく、長期間安定した森林内に竹林が成立することは、アキザキヤツシロランの生育にとってもメリットがある可能性が高いと判断してよいだろう。ただし、末次・山下(2019)は、タケ類が全く見られない環境においてもアキザキヤツシロラン、クロヤツシロランの両種が生育していることを報告していることから、この条件は本種の生育における必須条件ではないと考えられる。
結論
本研究により、長期間安定した森林内に竹林が成立することで、クロヤツシロランの生育環境を形成する可能性が示された。近年の急速な竹林拡大と荒廃により、竹林は生物多様性に負の影響を与える要因として、駆除を含めた管理の必要性ばかり主張される。しかし、竹林の中には過去からの土地利用との相互作用により、クロヤツシロランのような絶滅危惧種の生育地を形成しているケースもある。竹林の拡大を生物多様性に対する負の要因であると一義的に決めつけるのではなく、正の影響も含め、竹林が生態系へもたらす影響に対する理解をより深めていくことが重要であろう。
本研究を行うにあたって、東京都立大学理学部生命科学科の加藤英寿博士、長池公園自然館の小林健人氏には、クロヤツシロランの生育情報の提供および、現地調査にご協力いただいた。東京都立大学生物多様性情報学研究室の諸氏には、様々なご協力をいただいた。編集者、2名の査読者からは有用なコメントをいただいた。ここに記して謝意を表する。本研究の一部は、科研費20K06096の支援を受けた。
ORCID iD
Takeshi Osawa
https://orcid.org/0000-0002-2098-0902
表1.クロヤツシロランの標本採取地点から発生させた半径1kmの同心円内における土地利用。単位はk㎡である。標本採取地点は37点得られたが、3地点について標本の採取年代が2000年以前であったため、2007年以降の航空写真から読み取った土地利用のみ34点からのデータになっている。竹林の有無については、航空写真の判読により、標本採取地点の半径1km以内に竹林が確認された場合は1とカウントした合計数を示している。なお、標本の採取年代が2000年以前であった3地点については、1987年の航空写真から竹林は読み取れなかったため、0と表記している。
年代 | サンプル数 | 竹林の有無 | 森林面積 | 農地面積 | 市街地面積 |
---|---|---|---|---|---|
1961年 | 37 | ー | 1.37±0.78 | 1.295±0.69 | 0.52±0.69 |
1974年 | 37 | ー | 1.35±0.87 | 0.67±0.57 | 1.00±0.93 |
1987年 | 37 | 0/3 | 1.46±0.88 | 0.42±0.48 | 1.12±0.90 |
2007年以降 | 34 | 31/34 | 1.36±0.89 | 0.27±0.42 | 1.35±0.93 |
表2.各年代における土地被覆面積の変動係数(CV)。変動係数が小さいことは、標本採集地点間の土地被覆面積の差が小さいこと、すなわち、採集地点周辺の土地被覆面積が類似していることを意味する。航空写真から土地被覆が読み取れなかった年代がある地点については、その年代の値を含めずに計算している。
1961年 | 1974年 | 1987年 | 2007年以降 | |
---|---|---|---|---|
森林 | 0.57 | 0.66 | 0.62 | 0.67 |
農地 | 0.55 | 0.90 | 1.21 | 1.64 |
市街地 | 1.34 | 0.93 | 0.81 | 0.68 |
表3.各標本採取地点それぞれの4時期分の森林面積、農地面積、市街地面積の変動係数(CV)。変動係数が小さいことは、標本採集地点周辺の土地被覆面積があまり変化していないことを意味する。航空写真から土地被覆が読み取れなかった年代がある地点については、その年代の値を含めずに計算している。
森林 | 農地 | 市街地 | |
---|---|---|---|
4時期の面積推移CV | 0.24±0.32 | 0.78±0.34 | 0.47±0.24 |
表4.クロヤツシロランの現地調査地点から発生させた半径1kmの同心円内における土地利用および面積推移の変動係数(CV)。面積の単位はk㎡である。
年代 | サンプル数 | 森林面積 | 農地面積 | 市街地面積 |
---|---|---|---|---|
1961年 | 3 | 1.91±91403 | 1.06±0.16 | 0.13±0.09 |
1974年 | 3 | 1.69±0.62 | 0.53±0.09 | 0.87±0.62 |
1987年 | 3 | 1.60±0.21 | 0.39±0.10 | 1.10±0.42 |
2007年以降 | 3 | 1.28±0.21 | 0.22±0.07 | 1.597±0.14 |
推移CV | 0.22±0.06 | 0.57±0.14 | 0.72±0.31 |
図1.サイエンスミュージアムネットから収集したクロヤツシロラン標本の採取地点。
図2.標本採取地点および現地確認地点から発生させた半径1kmの同心円上内の土地被覆の推移。細線が標本採取地点、太線が現地確認地点を意味する。土地被覆データは1961年、1974年、1987年、2007年以降の4時期なので、等間隔ではない。また、ある時期の空中写真から土地被覆が読み取れなかったケースがあり、その場合は線で結んでいない。
図3.現地調査において2022年9月に確認されたクロヤツシロランおよび、確認地点の周辺写真。