印度學佛教學研究
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『中観五蘊論』にみられる類似する諸法の区別について
横山 剛
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2019 年 67 巻 3 号 p. 1131-1136

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抄録

チベット語訳でのみ現存のみ現存するチャンドラキールティ(Candrakīrti, 600–650頃)の『中観五蘊論』(Madhyamakapañcaskandhaka)は,中観派の立場から補足と訂正を加えながら説一切有部の法体系を解説する小型の論書である.筆者は同論が仏教の初学者が無我を理解するための入り口として有部の法体系を解説していることを指摘した(『印仏研』64(3),2016,164–168頁).本稿では同論の性格を示す教理的な点として,同論に説かれる類似する諸法の区別について考察する.

まずは『中観五蘊論』において(1)識(vijñāna)・想(saṃjñā),(2)作意(manas­kāra)・定(samādhi),(3)欲(chanda)・渇愛(tṛṣṇā),(4)勝解(adhimokṣa)・作意(manaskāra),(5)忿(krodha)・恚瞋(vyāpāda)・害(vihiṃsā)に関する区別が説かれることを指摘し,それぞれの区別の要点を示す.次に同論にみられる区別が心所法(その中でも特に大地法)に集中している点に注目し,その背後に人間の精神的側面の分析に重きを置くインド仏教の伝統があることを指摘する.そして『入阿毘達磨論』や『五蘊論』などの法体系を概説するその他の論書が諸法の定義のみを簡潔に説く点と比較すれば,『中観五蘊論』に説かれる諸法の区別が初学者の法体系の理解を助ける役割を果たしていることを指摘する.さらに本稿では,同論に説かれる諸法の区別が有部アビダルマに説かれる類似する諸概念に対する包括的な理解につながる例として(5)の区別に注目する.そして(5)の区別と恚(pratigha)の定義を総合することで,有部アビダルマにおける怒りに関する諸概念を体系的に理解することが可能であることを指摘する.

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© 2019 日本印度学仏教学会
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