印度學佛教學研究
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Avadānakalpalatāに見られる〈直喩〉について
山崎 一穂
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2021 年 69 巻 3 号 p. 1027-1032

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抄録

Avadānakalpalatā (Av-klp)はカシミールの詩人Kṣemendra (西暦990–1066年頃)によって書かれた108章からなる仏教説話集成である.同作品の第31章第32詩節には「心」(manas)を「恩知らずな者」(akṛtajñaḥ)に喩える〈直喩〉(upamā)の用例が見られる.古典詩論家達は〈直喩〉が成立する条件の一つに喩えるものと喩えられるものの文法上の性と数,格の一致を挙げる.問題の〈直喩〉ではそれぞれ,喩えるものと喩えられるものである「心」と「恩知らずな者」という語が文法上の性を異にする.本論文はKṣemendraがなぜ詩論家達の規定に抵触する〈直喩〉をここで用いたのかという問題の解明を試みるものである.

喩えるものと喩えられるものの文法上の一致が成立しない〈直喩〉の用例は劇作家Bhavabhūti (西暦8世紀)の戯曲作品Mālatīmādhava第9幕第10詩節に見られる.註釈者Jagaddhara (西暦13–14世紀頃)は,問題の詩節では〈情〉(rasa)が示唆されているので,〈直喩〉の文法上の不一致が許されると説明する.このことから,西暦8世紀頃には,詩論家達の規定の枠内で〈直喩〉を組み立てることよりも,〈情〉を示唆することを重要視する文学的慣習が戯曲詩人達の間に存在したことが推定される.

演劇論家Dhanaṃjaya (西暦10世紀後半)は,Bharataの演劇論を体系化し,演劇論書Daśarūpaを著している.同書の第4章では八種類の〈情〉が定義されている.Av-klp第31章第32詩節に先行する第27詩節と第28詩節にはそれぞれ,abhilāṣa「欲求」,vīṇā「ヴィーナー〔の音〕」という語が見られる.Dhanaṃjayaによれば,前者は運命やその他の理由で一緒になることができない男女に生じる〈恋〉(śṛṅgāra)の〈情〉が成熟していく最初の段階を,後者は〈恋〉の〈喚起条件〉を言葉で表現するのに用いられる語とされる.このことはAv-klp第31章第32詩節で〈恋〉の〈情〉が示唆されていることを意味する.

以上の点を考慮すると,Av-klp第31章第32詩節に見られる〈直喩〉の喩えるものと喩えられるものの文法上の不一致は,Kṣemendraが詩論家の規則を満たすことができなかったことを意味するものではなく,彼が〈情〉を示唆することを,詩論家の規則に従って〈直喩〉を組み立てることよりも重視したことによる結果であると解釈できる.

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