印度學佛教學研究
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世親の漫談――『釈軌論』にみられる説法者――
上野 牧生
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2021 年 69 巻 3 号 p. 1072-1078

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抄録

世親作『釈軌論』(Vyākhyāyukti)の掉尾を飾る第5章では,説法者(dhārmakathika)の予備軍に向けて,説法の見本が示される.特にその第3節では,奇譚・漫談・厭世譚の実例が紹介される.それぞれ,聴き手を驚かせる・笑わせる・〔輪廻や欲望や怠惰を〕厭わせることを目的とする小話である(この3点が布教の契機として重視される).それらはいずれも簡潔で短く,任意の引用,そして説法での実用に適する.おそらくは説法の前に,あるいはその合間に,説法者の声に耳を傾けない相手に向けて語られるものであろう.本稿はそのなか,居眠りする聴衆を笑わせ,眠りを醒ます目的で語られる漫談の全話を紹介する.例えば,次のような小話である.「ある外教徒がマハーバーラタを読んで泣いていると,ある人から「なぜ泣いているのですか?」と聞かれた.「シーターがどれほどの苦しみを味わったかご覧になりましたか」と答えると,「それはマハーバーラタですよ,ラーマーヤナではありませんよ」と言われた.外教徒は「私が泣いたのは無意味でしたね」と虚しく語った.これと同じように,説法者の語る佛陀のことばも,注意して聴かなければ無意味なのです」と.

往時の説法者は,こうした漫談で聴衆の笑いをとり,あるいは,話を滑らせ失笑を買ったであろうか.『釈軌論』から推測する限り,少なくとも世親自身が説法者であった,とはいえそうである.とはいえ,世親が居眠りする者にまで気を配る様は驚きでもある.あまつさえ,喜劇的な話や下世話な話,自虐までを漫談に織り込み,時には聴き手に合いの手を求めている.そうまでして世親が人々を佛教の聴聞に導こうとするのは,そこまで考慮しなければ,人々が佛教に耳を傾けなくなった当時・当地の時代状況を反映しているのかもしれない.

いずれにせよ,『釈軌論』第5章の記述は,5世紀前後の説一切有部圏域における説法者の実態の,その一端を記したものとして注目に値する.

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