印度學佛教學研究
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『静慮無色定大論』における止の完成後の修習
青原 彰子
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2021 年 69 巻 3 号 p. 1138-1142

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抄録

ジャムヤンシェーパ・ガワンツォンドゥ(’Jam dbyangs bzhad pa Ngag dbang brtson ’grus: 1648–1721)著『静慮無色定大論』(bSam gzugs chen mo, SZCM)「止観節」はツォンカパ・ロサンタクパ(Tsong kha pa Blo bzang grags pa: 1357–1419)著『道次第大論』(Lam rim chen mo, LRCM),『道次第小論』(Lam rim chung ba, LRCB)の難所の解説であり(SZCM 113b1),止観による修習次第の全体をLRCM, LRCBに基づいて説示するものである.本稿は,SZCM「止観節」の説示する止観による修習次第の全体を見通しつつ,特に止の完成後に修習される無我を所縁とする伺察修について考察する.

初学者はその者の性質に応じた所縁もしくは如来の御姿に依拠して九種心住の段階を進んで止を完成する.止を完成した瑜伽行者は了相作意,四念住,人無我およびそれに続く法無我の修習などを行うことが説かれている.了相作意には世間道と出世間道があるが,LRCMによれば,そのうち出世間道の四諦十六行相の修習に該当する.四念住は『倶舎論』に説かれるとおり,止の完成以後に行われる修習である.止の完成後に無我を所縁とする観が修習されるとも説かれており,この「観」は正規の観を完成する以前の未完成の観であり,伺察修である.唯識派と中観派の学説によれば,人無我の修習を先にして,法無我の修習を後にする.これらの修習は一見異なった修習と思われるが,主として無我を所縁とする伺察修である点で等しい.瑜伽行者は止の完成後の段階において,LRCM,LRCBの「観」の節に説かれる中観の哲学に従って無我を所縁とする伺察修を行なう.瑜伽行者はこの伺察修を完成することによって観を完成し止観双運を獲得する.

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