2021 年 69 巻 3 号 p. 1133-1137
本論文は,パツァプ・ニマタク(1055–1145 (?))の注釈における『根本中論』Mūlamadhyamakakārikāの引用方法をめぐって,第1「縁の考察」章を中心に分析を加え,その特色を考察することを目的とする.考察の対象とするニマタク注は,ラサにあるぺルツェク古代チベット写本研究所から出版されたカダム文集(第11巻)に含まれる.その題名は『『根本中・般若[論]』に対する注釈『灯明論』』dBu ma rtsa ba’i shes rab kyi ti ka / bstan bcos sGron ma gsal bar byed pa zhes bya baである(1a–52bR11).本論文は,ニマタク注の序論と第1章を直接の考察対象とし,彼が『根本中論』の各偈頌のどの部分を,いかなる翻訳文により,いかに引用するかを分析する.
ニマタク注は,彼が11世紀の終わりにカシミールにおよそ20年間滞在し,仏教思想とサンスクリット語を複数のインド人パンディットから学んで得た多くの研究成果を反映している.後伝期のチベットにおいて,チャンドラキールティの中観思想を本格的に導入するにいたった最大の功労者がニマタクであることはよく知られている.その勝れた翻訳の背後で,彼はカシミール留学中に,仏教思想に関するいかなる知識を得て,いかなるテキストを読み翻訳したのか.また,彼の翻訳はいかにしてチャンドラキールティの中観思想をチベットに根づかせる契機となったのかを解明する上でも,本注釈のもつ意義はきわめて大きい.本稿はこの点を念頭に置きながら,ニマタク注に引用される『根本中論』の内容と翻訳文に分析を加え,いくつかの新知見を得た.