2022 年 70 巻 3 号 p. 1220-1227
中国南北朝時代における仏教「解経」文献の名称は複雑であり,玄義・玄論・義疏・義章などがある.これらの「解経」文献には,インド仏教の論義の伝統を受け継ぐものがあり,中国の伝統文体に関連するものもある.本論において,これら文献を義・疏・論三種の基本的な形式に整理している.
(1)「義」は春秋時代の儒教の「微言大義」の伝統に関連している.二種類がある.一つは,仏教の通論としての「義章」であり,例えば慧遠の『大乗義章』である.もう一つは特定の仏教の総論であり,智顗の『法華玄義』である.
(2)「論」はインド仏教のアビダルマ,ウパデーシャ(upadeśa)あるいは「釈経論」に遡る.通論のものもあり(吉蔵の『大乗玄論』など),釈論もある(吉蔵の『法華玄義』など).
(3)「疏」は中国の注釈の伝統に関連し,「注」を整理するものおよび解釈である.しかし,当時あった「義疏」という文体では,経文の整理と記録としての「義」の意味と思われる.例えば慧遠の『起信論義疏』.また「義記」「集解」「文句」なども類似する名称である.
「義」「論」は同様な文体であるが,「義疏」という文体をもつ文献の数は多く,状況が複雑である.唐代に入ると,これらの「解経」文献は統一され「章疏」と呼ばれ,インド仏教の論義の影響が薄くなった.これをきっかけに,中国仏教の経典観の中心にも,印度仏典から中国宗派典籍への変化が現れてきたと思われる.