三相説 (三性説) に言及する最古の文献とされる『解深密経』では, 依他起相は縁起として説明されている. 従来より『解深密経』の三相説は唯識思想を必ずしも前提としていないとの指摘がなされており, より詳細な研究によれば,『解深密経』の依他起相は samskaranimitta という概念に置き換えることができるとされている. 本論文ではこの samskaranimitta という概念に着目し,『解深密経』の三相説の思想背景を考察している.
『解深密経』は「第七章」で依他起性を samskaranimitta と言い換える. そこではこの概念についての詳細な説明はないが,『解深密経』「第一章」によれば, samskaranimitta は言語表現の基体としての vastu を表していると考えられる. また, samskaranimitta という術語は『般若経』「弥勒請問章」でも用いられており, 所遍計, 所分別, 法性の三様相を説明する際に重要な役割を果たしている. 「弥勒請問章」では, この術語は諸法の三様相を説く直前で詳細に説明されており, その内容は『瑜伽師地論』「摂決択分」で説かれる五事説と類似している. 一方,『解深密経』の samskara-nimitta についても五事説との関係が指摘できる上に, 敦煌出土の『解深密経』のチベット語異訳では, 西蔵大蔵経所収のものとは異なり, 三相説の定義の中で nimitta という語が用いられている.
以上のことから,『解深密経』の三相説は五事説を前提としているとしても, 五事説のように vastu の分析を目的とするのではなく, vastu の上に展開している現象的世界を説明することが主眼となっており, それは三相説が唯識思想と関連する可能性を示唆していると考えられる.