平沢貞通(1892-1987)は、「不朽」・「三味二」(萌芽期)、「大暲」(大成期)、「光彩」(獄中期)の4つの雅号をもつ画家である。水彩画からテンペラ画へ転向後、1928年に岡田三郎助らと「テンペラ画会」を結成。45歳で同会会長に就任し、無鑑査・テンペラ画の大家であったが、戦後の混乱期に発生した大量毒殺事件(帝銀事件)の死刑囚に処され、画家の存在と作品そのものが「無かった」ように扱われていった。筆者は平沢の作品を所蔵する美術館と個人所蔵者への調査を実施し、作品現存の有無を明らかにした。本稿は評価のみられない獄中期「光彩」の時代を含む、4つの雅号をもつ画家の再評価をめざすレポートである。