経済地理学年報
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機業投資としての力織機化 : 1905-1914年の羽二重産業を例に
小木田 敏彦
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2001 年 47 巻 3 号 p. 155-177

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抄録
本稿では, 羽二重産業の力織機化を, まず機種別の普及過程に着目して3つの局面にわけ, 羽二重市況, およびそれに付随する問題として独自ブランドと電力会社の地域的市場パーセプションという観点から分析した.第1局面は明治38(1905)年における鶴岡の力織機化の本格化を発端とする軽目用力織機の全国的普及であり, 明治43(1910)年以降の第2局面では軽目用と重目用の力織機が共に普及した.また, 大正初期の第3局面では川俣・鶴岡において力織機が減少傾向を示した.第3局面の問題を考察する際には, 富山・米沢といった力織機化が見られなかった産地も取り上げた.羽二重産業の力織機化は, 明治30(1897)年のアメリカ関税, 明治38(1905)年のフランス関税による課税, および日露戦争による国内物価の高騰という要因の中で生じた軽目ブームにより本格化した.鶴岡で開発された斎外式力織機が軽目製織に適することから, 「羽前軽目羽二重」というブランドが誕生し, 鶴岡では機業投資熱が高まった.鶴岡の成功は軽目製織を目論む各産地のモデルとなり, 斎外式・平田式は各地に普及した.産地により力織機化の過程に違いが見られた.福井・川俣においては, 電力会社による地域的市場パーセプションの問題が力織機化の進展を大きく左右した.電力会社の諸動向は, 羽二重市況に対応してのものだった.また, 富山・米沢には独自の羽二重ブランドが存在しなかったため, 機業投資熱が高まらなかった.結局, 力織機化は産地間競争を激化させた.そして, 大正初期に鶴岡は「羽前軽目羽二重」を放棄するに至った.
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© 2001 経済地理学会
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