2021 年 41 巻 p. 52-60
目的:精神科看護師が自身の身体をとおして,どのように統合失調症者を理解して看護を実践しているのかを明らかにする.
研究方法:Merleau-pontyの現象学的身体論に基づいた質的帰納的研究デザインを用い,統合失調症の看護経験が3年以上の看護師15名に半構成的インタビューを行った.
結果:1.精神科看護師の身体をとおした統合失調症者の理解と看護実践には,身体性の次元と言語の次元がみられた.2.統合失調症者の生き辛さは,《自分の身体に馴染めない》,《他者の身体に脅かされる》,《自分らしく生きることに困難を抱える》であった.3.精神科看護師は,【共鳴する】ことと【応じる】ことを通して【関係性によって癒す】という実践をしていた.
考察:精神科看護師は,統合失調症者の「自己性の形成不全」という生き辛さを,間身体性による付き合い方の身体知によって築いた関係性によって癒すことが示唆された.
Purpose: The purpose of this study was to describe psychiatric nurses’ understanding and practice with regard to the care of patients with schizophrenia by examining the nurses’ embodied experience of providing that care.
Methods: Semi-structured interviews regarding episodes of providing care for patients with schizophrenia were conducted with 15 nurses who had three or more years of experience working with such patients. Data were analyzed using a phenomenological approach based on Merleau-Ponty’s ideas on embodiment.
Results: 1. The nurses’ embodied understanding of patients with schizophrenia and how to care for them was found to have two dimensions: corporeal and linguistic.
2. According to the nurses, living was found to be difficult for patients with schizophrenia for three reasons. Two related to corporeality: “They can’t adapt to their bodies” and “They feel threatened by the bodies of others.” The other related to expressing themselves through language: “They have difficulty living their lives in a way that they can be themselves.”
3. In the nurses’ care practices related to each of these difficulties, they tried to “Treat the patient’s illness by relating to them,” “Resonating,” and “Being responsive.”
Discussion: The results suggested that through the phenomenon of intercorporeality, the psychiatric nurses were able to treat the difficulties that patients with schizophrenia had in life—which stemmed from their “malformed sense of self”—by relating to them using embodied knowledge about how to interact with them.
看護は患者の身体に触れる営みであり,患者や看護師の身体なしには語ることができない実践である.松浦ら(2007)は,「看護師の本務であるケアは身体をとおして行うものであるから,この知は看護実践-身体運用や身体感覚を通して蓄積され,その実践での活用も身体を通して行われる」と述べ,看護実践を身体の側面から検討することの重要性について説明している.また,看護を身体の側面から検討することの有用性に着目し,いくつかの研究がなされている(西村,2001;Benner & Wrubel, 1989/1999;松浦ら,2007).
精神看護実践や研究の多くは,精神面に焦点をあてて行われており,これまで身体論の観点からは十分に検討されてこなかった.しかし,精神科看護師は,患者が精神面だけで苦痛を感じているのではなく,心と身体が繋がりあった全身で苦悩や生き辛さを体験していることを感じとり,看護を実践している.精神科看護師は,こうした身体をとおした患者理解について,日常的に“通じる”“つながる”などと表現している.この“通じる”“つながる”という表現は,看護師自身の身体感覚を基盤にした患者理解といえるのではないかと考えられる.
自身の身体を基盤とした他者理解について,Merleau-ponty(1945/1967)は,私たちが直接経験している他者は,心とも身体ともつかない「生きられた身体」であると説明している.そして,「私が対象の状態を知るのは私の身体の状態を介してであり,また逆に私の身体の状態を知るのは対象の状態を介してなのである」と述べ,身体性のレベルにおける相互性(間身体性)に基づき,自らの身体を介して他者を理解する構造を示した.この現象学的身体論によると,「生きられた身体」をもつ人間は本源的に他者に向かって開かれた存在であるため,私の身体をとおして直接的に他者を理解することが可能となる.また,対話についても「生きられた身体そのものとしての対話」として「私の言葉も相手の言葉も討論の状態によって引き出されるのであって,それらの言葉は,われわれのどちらが創始者だというわけでもない共同作業のうちに組み込まれてゆくのである」と説明しており,人間同士のコミュニケーションは全て「考える」よりも前に「感じる」という知覚レベルで行われている身体的交流であると捉えることができる.
精神看護実践もまた,看護師の身体をとおした他者理解の観点から検討することが可能であると考える.そうすることによって,より心身を統合した精神看護実践の有り様を提示することができると思われる.そこで,精神科看護師が自身の身体をとおして,どのように患者を理解し,看護を実践しているかを明らかにしたいと考えた.
精神看護実践の中心的な疾患である統合失調症は,代表的な精神疾患であり,中井ら(1989)が,「統合失調症ではまず身体が反応し,身体が支え切れなくなって初めて本格的な精神症状(幻覚や妄想)の発現に至る」と述べているとおり,身体にその基礎をもつとされている.また,自我が脆弱であり,言語的コミュニケーションの成立が困難な場合も多いため,精神科看護師は,自身の感覚により患者を理解して看護を実践している(嵐,2009).そのため,本研究では,精神科看護師の身体をとおした統合失調症者の理解と看護実践について探求する.
本研究の目的は,精神科看護師が自身の身体をとおして,どのように統合失調症者を理解して看護を実践しているのか,その理解と実践を明らかにすることである.
本研究において,身体に関する用語を,Merleau-ponty(1945/1967)の身体論に基づいて以下のように定義した.
・身体:常に世界へと開かれて世界の探索へと向かい,常にある外的存在にかかわっていく運動能力あるいは知覚能力の体系(生きられた身体)
・感覚:事象が身体のうちに呼び起こした反響を迎え入れること
・知覚:感覚の結果,事象が私達の身体のうちである意味をもつようになること
本研究は,精神科看護師が,自身の感覚の知覚を通して,統合失調症者をどのように理解し看護を実践しているかに主眼を置いている.そのためには,看護実践についてその経験の内側から探求する必要がある.それは,先に述べた,自他の分離の手前にある「生きられた身体」,知覚レベルでの相互の身体的交流(「間身体性」),「生きられた身体そのものとしての対話」を提示したMerleau-ponty(1945/1967)の現象学的身体論の思想に学ぶことが多い.以上より,本研究において,身体固有の次元の経験を記述するために,Merleau-pontyの現象学的身体論に基づいた質的帰納的研究デザインを用いた.
2. 研究参加者統合失調症の看護経験が3年以上の看護師15名であった.
Benner(1992/2005)は,同じ状況で2~3年経験した看護師を,一通りの経験を持っている一人前と定義している.本研究は,精神科看護師の理解と看護実践を明らかにするものであるため,精神科看護師として一人前と捉えられる3年目以上の看護師を対象とし,スノーボールサンプリングにより様々な施設に勤務する精神科看護師を対象とした.
3. 調査内容・期間インタビューガイドを用いて半構成的インタビューを行い,主に「印象に残っている統合失調症者への看護経験」のケア場面について自由に語ってもらった.インタビューの平均時間は,平均84.2分(範囲:60~107分)であった.調査期間は,2015年10月~2016年3月であり,インタビュー内容を録音し,逐語録を作成した.
4. 分析方法Merleau-pontyの実存的な分析を参考に以下の手順で分析した.
1)逐語録を繰り返し読み,特に看護師・統合失調症者の身体の動きや感じ方に関する表現を抜粋し,経験の成り立ちを分析しながら気づきを書き込んだ.
2)研究参加者ごとに,身体の動きや感じ方に着目して,どういうことが起こっているのか,その場面の意味を,Merleau-pontyの現象学的身体論の以下の観点から解釈してエピソードとしてまとめた.
(1)生きられた身体:看護師の身体は,統合失調症者の行為と対になっていることに留意し,実践のエピソードは,看護師の身体と統合失調症者の身体が,二つで一つの行為を成し遂げているという観点から解釈した.
(2)間身体性:エピソードのコミュニケーションについて,「感じる」という知覚レベルの表現に着目しながら,看護師の身体の相互性がどのような統合失調症者の状態を表しているかの解釈を繰り返し深めた.
(3)生きられる身体そのものとしての対話:エピソードにおける対話は,看護師と統合失調症者の共同作業として捉えて対話の意味を解釈した.
3)2)のエピソードの経験について解釈を繰り返しながら,身体性の次元や看護実践の意味のまとまりからその構成を検討した.
4)全てのエピソードの記述全体に共通する要素から,精神科看護師の身体をとおした理解と看護実践を導き出した.
なお,分析・記述にあたり,その真実性および厳密性を保つために,現象学的看護研究を専門とする者にスーパーバイズを受け,記述の精度を高めた.
5. 倫理的配慮研究参加者には,文書を用いて研究の趣旨,倫理的配慮,自由意思に基づく参加と辞退の権利について説明し,同意書への署名を得た.研究参加者の個人情報の特定につながる情報については連結可能匿名化とした.本研究は,東京女子医科大学倫理委員会の承認を得て実施した(番号:3532).
研究参加者は,精神科看護師15名であり,平均臨床経験年数は14.2年(3~30年),平均精神科臨床経験年数は12.5年(3~30年)であった(表1).
ID | 年齢 | 性別 | 臨床経験年数 | 精神科臨床経験年数 | インタビュー時間 |
---|---|---|---|---|---|
A | 40代 | 女 | 25 | 23 | 97分 |
B | 40代 | 女 | 27 | 21 | 107分 |
C | 20代 | 女 | 3 | 3 | 82分 |
D | 50代 | 女 | 30 | 30 | 101分 |
E | 30代 | 男 | 13 | 13 | 102分 |
F | 30代 | 女 | 9 | 7 | 61分 |
G | 30代 | 女 | 16 | 14 | 80分 |
H | 30代 | 男 | 12 | 5 | 77分 |
I | 30代 | 女 | 9 | 7 | 80分 |
J | 20代 | 女 | 7 | 5 | 85分 |
K | 40代 | 男 | 16 | 16 | 81分 |
L | 40代 | 女 | 12 | 12 | 90分 |
M | 50代 | 女 | 9 | 9 | 60分 |
N | 40代 | 女 | 11 | 9 | 88分 |
O | 30代 | 男 | 14 | 13 | 72分 |
精神科看護師の語りから,精神科看護師は自身の身体の知覚をとおして,統合失調症者の生き辛さを感じ取りながら看護を実践していると解釈された.また,看護師の身体をとおした看護実践には,直接的に身体に触れるケアや,傍に身を置くことによって生じる交流を主とする身体性の次元と,直接的な身体の触れ合いや近接はないが,身体性に根差した言語を介した交流を主とする言語性の次元のまとまりが見いだされた.
以下より,統合失調症者の生き辛さを《 》,生き辛さにおける看護師の理解と看護実践の意味を〔 〕で示し,それぞれについて研究参加者の語りを用いながら述べる.
なお,文中の研究参加者の語りについては,斜体で記述した.また,論文中では個人の特定を避けるため,固有名詞の使用は避け,意味内容に影響がない範囲で具体的事実や語り言葉の特徴などに対し,若干の改変を行った.また,研究参加者の言葉でわかりづらいところは( )の中に研究者が補った言葉を入れた.
1. 身体性の次元における交流 1) 《自分の身体に馴染めない》《自分の身体に馴染めない》という生き辛さは,統合失調症者が身体感覚の異常により,自身の身体を整えられない場面に接することで看護師の感覚を通して感じられるものであった.
(1) 〔親しめない身体を内側から味わう〕〔親しめない身体を内側から味わう〕とは,統合失調症者の感覚を看護師の身体の内側から体感することである.A看護師は,患者の体感幻覚の訴えについて,次のように語った.
「人が喉から出てくるっていう体感幻覚の恐怖感がすごい人で,『今,喉から手が斜めに出てくるんです!(喉から手を斜めに出す仕草)』とか,とにかく,訴えてきた時はぞくっとする感じでした.圧倒されるっていうか,やっぱりこう,ドキドキするっていうか,ざわざわする,『ええーっ』ていうそういう感じはありましたよ.」(エピソード①)
このように,看護師が意識的に捉える以前に,すでに身体的なレベルで患者の感覚を味わっていた.
(2) 〔一体となって身体を維持する〕〔一体となって身体を維持する〕とは,統合失調症者の身体感覚の異常を感じ取り,その感覚障害に応じて統合失調症者が自身で維持できない身体を,看護師が統合失調症者と一体化して維持することである.B看護師は,拘束を解除する際に,平衡感覚の異常を瞬時に感じ取り,咄嗟に適切な介助をしていた経験を次のように語った.
「柵につかまり,足をふんばって冷や汗たらたらだったんですね.起きられない.後ろにのけぞるんですよ.で,天地がひっくり返ってるんだなって感じて,『下見て』って.で,『私達見て』って.『ここは落ちたりしないから安全な場所だから』っていうことを保証して,手を支えながら,『はっ』てやって(背中を支える仕草)立ち上がってくれた時にとても安心した顔をされて.」(エピソード②)
このように,アセスメントをして支援するという在り方でなく,気付いたら既に患者の状態に応じていたという経験のあり方で,看護師の身体で感じ取った感覚障害に患者と一体化して身体を維持していた.
(3) 〔内側から感覚を育てる〕〔内側から感覚を育てる〕とは,患者と看護師が築いた関係性に基づいて,看護師の感覚により患者に合った方法を選択し,患者がその方法を取り入れて今後も自分で身体の状態を維持していける感覚を育てることである.
M看護師は,間食等の自己管理の感覚が掴めない患者に対し,タイミングを合わせて患者に合った方法を助言することにより患者が快適な身体の感覚を実感し,適切な自己管理につなげることができた体験について以下のように語った.
ちょっと,(患者が)不安だなって思ってる時に,無理強いはしないで,『この方がいいと思うけどどうですか』っていう感じですかね.その時に『じゃあそうしてみる』っていうふうにいってくれたので.で,そこで,あ,今だなと思って.お互いにタイミングが合った.患者も,なんとなくやってみたら,結構,自分的には快適だったっていうのを実感してもらえたのかな,と思うんですよね.自分も体調がいいし,気分がいいっていう.そこで,どうしたら彼女が無理なくやれるのかなってことを相談していったんですけど.(エピソード⑤)
M看護師は,これまでの患者との関りのなかで,患者の身体感覚の異常を感じ取ったことから,患者に受け入れやすい管理方法を見出したという.その患者への導入についても,根拠を語るというよりは,「あ,今だな」と「タイミングが合った」のを感じて声をかけるという,感覚的な患者理解と関わりについて語った.患者は,身体の快適な感覚という実感を伴った体験と,その後も維持していける方法をMさんと検討して取り入れ,やがてその方法は患者自身のものとなり,患者自身が身体を維持することにつながっている.
2) 《他者の身体に脅かされる》《他者の身体に脅かされる》という生き辛さは,統合失調症者が不自然な仕方で看護師との接近を回避しようとする場面に接することで,看護師の感覚を通して感じられるものであった.
(1) 〔馴染めない関係に巻き込まれる〕〔馴染めない関係に巻き込まれる〕とは,統合失調症者に近づくと身を引かれ,脅かされている様子を感じることや,独特の拒絶される雰囲気を感じるうちに,看護師も馴染めない関係の一端として関係性を築いていることである.
A看護師は,統合失調症者と相対した時に第一印象として独特の雰囲気を感じる経験について以下のように語った.
統合失調症の人って,なんかこう,雰囲気が伝わるというか,緊迫感があるというか.あの…拒絶も拒絶で,ほんとに…入ってこないでほしいというような,辛さが伝わるような拒絶…(エピソード⑦)
L看護師も同様に統合失調症者の雰囲気について語り,関わっていても通じ合えない感じがある患者との付き合いについて語った.
あの…そうですね…一番困難だと感じるのは,うんと,関わるのにも壁がある…(中略)かたさ…こちらの心のかたさを引き出されちゃう感じがある.…うーんと…普通に会話できても,なんかこう,心に触れるってことができなさそうな感じ.でもそれは,自分が作ってしまってる壁なのか,相手(患者)が作ってる壁なのかわかんなくなる(中略)その苦しいところを,なんとか助けになりたい自分もいるけど,できない自分も感じていて,その無力感みたいなものも瞬時にあるわけじゃないですか.(エピソード⑧)
L看護師が感じる困難さは,言語の疎通性や関わりを拒否するという表面的な問題ではない.会話が成立し,関わりの拒否がなくても,内面的に心を通わすことができないという「通じ合えない」感じであり,看護師だけでなく,他のどんな他者とも「通じ合えない」という統合失調症者の在り方に「苦しさ」を感じさせるものである.初めは患者の「通じ合えない」「壁」であるが,看護師も「心のかたさを引き出され」,次第にどちらが作った「壁」なのかわからなくなっていく.それは,統合失調症者がもつ関係の病いを共有する経験であると同時に,「通じ合えない」関係の一端を担う者として苦しさや無力感を感じ,関係の病いに巻き込まれていく経験である.
(2) 〔脅かさない他者として傍にいる〕〔脅かさない他者として傍にいる〕とは,脅かされやすい統合失調症者の様子に応じて,患者が脅威を感じない在り方で傍にいることができるようになることである.
F看護師は,急性期の統合失調症者に無自覚に近寄ることで妄想対象になった経験から,脅かさない関りの感覚が掴めてきたプロセスについて語った.
接し方のうまくわからなかった時代,痛い思いもいっぱいして.(中略)今は,そこは,少し距離をとったりして,侵入しないような関わりが今はもう少しできる.…なんとなくつかめてくる.いろんな(統合失調症の)人とのかかわりで,共通性というか,ああきっとこのくらいいったら疲れちゃうかなっていうのは.統合失調症の人は.(エピソード⑮)
I看護師は,慢性期で陰性症状がみられる患者と,脅かさないで傍にいることができた経験を語った.
(患者を)担当した時に,本当に喋れなかったんですよ.当時,すごく苦手な患者さんだったんですけど.わーこれ,どうしようって思って.(中略)
…でも,ただ,なんか,私その時初めてだったんですけど,一緒にいたいなって思ったんですよ.この人をわかるために.(中略)それで,『もしよかったら,傍に一緒にいさせてもらってもいいですか.全然話さなくてもいいです.』って言って.そしたら頷いてくれて.(中略)で,なんか,一緒にいたんです.ちょうど地べたに座ってたから,隣で私も座ってて,ぼーっとしてたんですよ.患者さんも何もしないし.そしたら,割と私も居心地がよくなったんですよ.自分も…なんか,何も考えず,相手の存在はお互いに意識はしてるけど,別に…ただいるだけでいいみたいな…(エピソード⑫)
このように,精神科看護師は,統合失調症者の反応をみながら侵入的に感じさせない距離のとり方がわかるようになり,脅かさない他者として傍らにいることの技が研ぎ澄まされていた.
(3) 〔馴染める間柄になる〕〔馴染める間柄になる〕とは,馴染めない関係の一端である看護師が変わることにより,馴染める間柄に変化させることである.
F看護師は,急性期で幻覚妄想により暴力があり,互いに脅威を感じていた患者との間柄を変化させた経験について語った.
それで,この人は不安と怒りのかたまりでこうなってるから,対応を変えれば,すぐ変わるだろうなって私思ったんです.自分はとにかく脅かさないで,こう…安楽っていうか安寧な環境をできるだけ提供するとか.攻撃されるのは覚悟で,それを攻撃で一切返さない.もうこっちが攻撃しちゃったら,この人は攻撃しかできないから,攻撃されても,そこには反応しない.…反応しないっていうかやわらかく返すってことだけを意識する.(中略)そしたらやっぱり,自分が来た時に,少し対応が軟化する.『待っててくれてありがとう』って言うと,『まあな』みたいなこと言ってくれたり.小さいことなんだけど,拒絶されるような言葉とか仕草が減っていって…それを自分が見て感じたことで,私の気持ちは通じてるっていうか.(エピソード⑳)
このように看護師と患者の間が変わり,馴染めない関係の一端である看護師が変わることにより,間に生まれている状態を変化させ,もう一方の一端である患者を変えており,馴染める間柄に変化させていた.
2. 言語の次元における交流 1) 《自分らしく生きることに困難を抱える》《自分らしく生きることに困難を抱える》という生き辛さは,統合失調症者が自己実現への挫折を抱えていることや他者と社会で生きることの難しさに接することで看護師の感覚を通して感じられるものであった.
(1) 〔生身の人間として相対する〕〔生身の人間として相対する〕とは,統合失調症者にその生き辛さの葛藤をぶつけられることによって,看護師である以前に生身の人間として相対しその生き辛さをわかることである.
L看護師は,妄想の世界に生きているようにみえる慢性期で長期入院をしている患者について,以下のように語った.
妄想のなかに生きてて,性的な部分も妄想に紛れてたんだけど…具合が悪くなった時に性的な部分がエスカレートして,ほんとにえげつない言葉で.ナースに,女性器を言ったり,子どもを産んで欲しいとかになっちゃった.でもその背景に,患者さんの,本当は結婚して子どもをもって,暮らしたかったっていうことが,ポロッポロッとみえるから,ちょっと切なくなります.仕事でやってるんだけど,半分生身が出てくる.(エピソード㉑)
看護師は,社会で生きていくうえで認められないような発言を患者からぶつけられることがある.L看護師は,看護師である以前に,性的な対象としての女性性という身体的な側面を突き付けられ,男性と女性という「生身の人間として相対する」ことになった.それは,統合失調症者が,社会で自分らしく生きていくことに困難を抱える生き辛さを示すものであり,看護師は生き辛さをぶつけられる受け手として,その生き辛さを看護師自身の身で引き受ける経験をしていた.
(2) 〔愛着をもとにその人らしさや希望を掘り起こす〕〔愛着をもとにその人らしさや希望を掘り起こす〕とは,互いに愛着が生まれることで成立した関りにより,症状の影で表出されない患者の思いや希望を掘り起こしていくことである.L看護師は,先ほどの患者が表現できない人間性を聞き取った経験について以下のように語った.
彼の面倒みてるのは,お姉さんなんですよ.で,『俺なんか,お姉ちゃんに迷惑かけるばっかりだし,生きてたってしょうがないよな』って,妄想の話の合間に,ポツリっと現実の話が出てくるんですね.彼自身が一つのストーリーとしてはなかなか語れないものを断片的に聞き取って,妄想の合間に見え隠れする,本来の人間性の部分をつないで,あ,こんな感じかなって,(患者に)フィードバックしてまたつないでいく.その作業が,言葉をもちろん使ってつなぐところもあるし,合間合間の表情をキャッチして,つないでいく…表情…うん,表情.アイコンタクト.(中略)現実感を帯びた顔になるし,なんだろう,難しいですね.表情がなんとなくふっと変わるっていうか.うん…なんだろう.ぴたっと合う感じっていうか.(エピソード㉔)
そしてその作業は,言葉だけでなく,表情やアイコンタクトなどの身体全体の感じから得られた感覚によって行われていると語った.身体性の次元における患者と看護師の付き合いを基盤として愛着が生まれ,その人らしさや希望を自身で表現できない患者に応じて掘り起こす糸口を見つけ出していた.
(3) 〔共に生きることを支え合う〕〔共に生きることを支え合う〕とは,統合失調症者と看護師が心を通じ合わせることにより共に生きることを支え合うことである.
Lさんは,先に述べた妄想に生きているようにみえる患者と,心を触れ合わすことができた感覚について語った.
人間的なやりとりっていうか,心の触れ合いみたいなところは,看護師が,こう,つないでいかないと…成り立たない.心に触れるっていうのは,その人のことがわかるっていうか通じ合えるっていうこと.私も心地いい.個人的な感覚だけれども,その心が触れ合うことが,人間が生きている意味かなっていうような気がするんですね.人との心の触れ合いが,生きていくための支えになっているんじゃないかと思うんですね…(エピソード㉖)
L看護師は,人と「通じ合える」という「心の触れ合い」が「人間が生きている意味」であり,人が「生きていくための支え」になっていると語った.この考えによると,統合失調症者が,看護師と通じ合えたという感覚をもてることは,統合失調症者が生きていくための支えになりうるといえる.また同時に,看護師自身も患者と「心が触れ合う」ことを心地よく感じており,患者と通じ合うことは看護師自身も生きている意味を感じられる経験となっている.
3. 精神科看護師の身体をとおした統合失調症者の理解と看護実践これまでに述べてきたように,精神科看護師が,統合失調症者と直に接することにより感じられる身体の知覚は,統合失調症者の圧倒的な生き辛さを指し示していた.そのため,看護師の理解と看護実践は,看護師の感覚を通して統合失調症者のありありとした生き辛さに共鳴することで統合失調症者の生き辛さを体感し,その在り方に応じることを繰り返すという交流であった.この交流において築かれた統合失調症者と看護師の関係性によって統合失調症者の生き辛さが癒されていた.これらの,【共鳴する】【応じる】【関係性によって癒す】は,全てのエピソードの記述を共通して貫いており,精神科看護師の身体をとおした理解と看護実践の要素として捉えられた.【共鳴する】とは,看護師が意図せず統合失調症者の生き辛さの感覚を看護師の身体において再現することでわかるという事態である.【応じる】とは,【共鳴する】ことに応じて,看護師が自己の行為を送り返すことであり,【関係性によって癒す】とは,【共鳴する】ことと【応じる】ことを繰り返すことによって築かれた関係性によって,生き辛さそのものが癒されることである.
以上の内容について,精神科看護師の身体を通した統合失調症者の理解と看護実践のエピソードとして図1にまとめた.看護師の理解と看護実践の要素は【 】で示し,先に述べた統合失調症者の《自分の身体に馴染めない》,《他者の身体に脅かされる》,《自分らしく生きることに困難を抱える》という3つの生き辛さごとに,各要素に対応する意味のまとまりは,看護師の理解と看護実践の要素のバリエーションとして〔 〕で示した.
精神科看護師の身体をとおした統合失調症者の理解と看護実践のエピソード
このように,精神科看護師の身体をとおした統合失調症者の理解と看護実践は,身体性の次元と言語の次元の2つの次元において,3つの統合失調症者の生き辛さに対し,共鳴することと応じることにより関係性によって癒すことによって成り立っていた.
Merleau-ponty(1945/1967)が「触れている」能動と「触れられている」受動がすり替わり,相互に反転しうるような在り方(相互反転性 reversibilite)で「私達は他者を直接に経験している」と述べていることと同様の現象が本研究においてもみられた.Merleau-ponty(1960/1970)は,このような現象について,2者の身体が,いわば「二人で作り上げる一つの大文字の身体の器官」だからであると説明した.このように,患者と看護師の身体が,触れ合うことで「同じ間身体性の器官」として感じ合うことは,患者の感覚を推察してアセスメントするといった間接的な理解ではなく,看護師も同じ感覚を得ている当事者として直接的に患者を理解しうるといえる.
また,Merleau-ponty(1945/1967)は,間身体性の様々な例を挙げ,「もらい泣き」などから,「他者の行為を知覚すると,自己の身体で同じ行為を意図せず反復してしまう」現象について説明している.これは,他者の行為を自己の身体で反復してしまうために,直接的な触れ合いはなくとも,患者を看護師自身の知覚において直接的に理解することができるという論理で説明されている.このMerleau-pontyの現象学的身体論を援用し,現代の認知科学の観点から検証を進めたGallagher & Zahavi(2008/2011)は,ミラーニューロンの働きをもとに,最も基礎的な他者理解のあり方は,「知覚的,感覚・運動的」であり,「他者の行為を知覚することは,それと同じ行為の可能性を,自己の身体の感覚・運動的次元において誘発する」(Gallagher & Zahavi, 2008/2011)と説明した.このGallagerの流れをくみ,Merleau-pontyを援用して身体知について研究している田中(2017)は,「他者理解が知覚と行為の次元に基礎を置く」「身体知」であると述べ,知覚と行為の循環を次の2つに整理している.間身体性は「第一に,他者の行為と同じ行為(またはその可能性)を自己の身体において再現すること,第二に,他者の行為の意図に応答して,自己の行為を送り返すこと」である.本研究においても,この2つの特徴が顕著にみられた.これらのことから,精神科看護師の身体を通した統合失調症者の理解と看護実践は,知覚と行為の循環に基礎をおく間身体性による身体知として捉えられることが示唆された.看護は,看護師と患者との関係性の間で循環する【共鳴する】ことと【応答する】ことという,知覚と行為の連なりから生じてくる意味を,間身体的に感じながら患者と付き合うことにより紡ぎだされているといえる.
2. 統合失調症者の自己性の形成不全という生き辛さと看護本研究において見出された3つの生き辛さは,木村(1975)の述べた統合失調症者の根源的事態である「自己性の形成不全」と一致するものであり,その病理のプロセスは,身体性に深く根差した対人関係を含みこむものであった.そのため,統合失調症者への看護実践は,統合失調症者と間身体的に通じ合える人間関係のなかで,統合失調症者が他者と共に生きることができる自己を見出していく道を開くものであると考えられた.
3. 看護への示唆看護師の理解と看護実践は,理性的な判断とそれに基づいた行動という在り様ではなく,看護実践のうちに理解を内包する分かち難いものであった.そのため,看護師は,実践(行為)とともに,自らの知覚を重要視して振り返り,気づきを得ることで,看護の改善や質の向上を図ることができると考えた.
今後の課題として,本研究のデータは,語り手の精神科看護師と聞き手の研究者の共同作業として得られたものであるため,統合失調症者と看護師の関わりの臨床場面を参与観察し,本研究の結果を発展させていくことが求められる.
付記:本研究は,東京女子医科大学大学院博士後期課程学位論文の一部を加筆修正したものである.また日本精神保健看護学会第29回学術集会にて一部を発表した.
謝辞:本研究にご参加くださいました研究参加者の皆様,本研究をご指導くださいました亀田医療大学田中美恵子教授に感謝致します.
利益相反:本研究における利益相反は存在しない.