抄録
本研究は,阪神・淡路大震災当日生まれの青年の「苦しみ」とそこからの回復プロセスについて考察したもので
ある。震災の発生当日に生まれた青年に直接的な被災体験はない。しかし,本来喜ばしい日である自身の「誕生日」
が多くの人の「命日」であることを知った青年は,独特の苦しみを抱える。誕生日の話題を避け,誕生日が近づ
くのを恐れたのである。一般的に,被災者が災後ストレスから回復するプロセスでは被災体験を語ることが重要
な役割を果たすが,この青年の場合,誕生日を語れないことが最大の苦しみであり,特に,遺族の前で話題にす
ることをタブーと考える点が特徴的であった。その青年が,現在,震災遺族も所属する語り部団体で活動をして
いる。「誕生日」が,「語ってはいけない日,話題にしてはいけないらしい日」から「誇らしい日」に変わるまで
の変化を促したものは何か。それは,青年の両親,および,被災者(特に,遺族)との交流を通して徐々に獲得
された,この青年なりの「表現活動」であった。本論文では,青年の苦しみ(ストレス)とそこからの回復過程
をパーソナルヒストリーとして描き,分析する。