2022 年 21 巻 1 号 p. 91-109
本研究は,ろうの両親を持つ聴者(CODA: Children of Deaf Adults)とろうの姉弟を持つ聴者(SODA: Siblings of Deaf Adults/Children)である筆者らが自ら経験した生きづらさについて分析する当事者研究である。CODA と SODA は,音声日本語使用者であることから,マイノリティの要素が隠れた見えないマイノリティとされる。そ こで,筆者らは見えないマイノリティの当事者として,自身の経験を対象化し,ろう者の家族が抱える問題の外 在化を目指した。分析には協働自己エスノグラフィ(Collaborative autoethnography)を応用してそれぞれの自己エ スノグラフィを作成し,生きづらさを生み出す構造について考察した。両者の自己エスノグラフィには,聴者の 世界に同化せんがために,ろう文化との関わりを受容するか否かというジレンマを抱えていることが記されてい る。また,聴文化とろう文化から受け取る矛盾したメッセージによって認知的不協和に陥るだけではなく,自己 を抑圧するドミナント・ストーリーを内在化することで「障害者の家族」という自己スティグマを持っているこ とも示された。この背景にあるメッセージは,筆者らと他者との相互行為に加え,両親や姉弟との相互行為を介 して伝えられるものでもあるため,構造的スティグマとしての性質を有していると言える。