本論文は,自然災害を対象とした防災・減災,復旧・復興に関する研究・実践における「産官学民」の関係について,日本社会を念頭に,その歴史的な概観,成果と課題の概括を試みたものである。明治の近代化は,それ以前,主に「官」と「民」による緩やかな連合によって担われていた日本社会の防災・減災,復旧・復興に大きな変化をもたらし,その後,それは,明確な機能分化(縦割り)を伴った「官+産学」の体制へと移行する。「学」(科学)と「産」(技術)を「官」が統括する体制は,太平洋戦争後,特に伊勢湾台風(1959 年)以降の高度経済成長期に花開き,長年にわたって大きな成功をおさめる。しかし,そこに大きな落とし穴が潜んでいたことが,阪神・淡路大震災(1995 年)と東日本大震災(2011 年)という2 つの大震災を通して露呈する。「官+産学」への過剰な依存に対する反省は「安全神話の崩壊」「想定外」といった言葉で,他方で,「民」の復権は「ボランティア元年」「自助・共助・公助」といった言葉で表現された。もっとも,この新たな社会的配列「産官学民」への移行はスムーズではない。「産官学民」の表面的連携に自足することなく,そこに生じている葛藤や矛盾こそが真の連携にとって重要な礎石であるとの認識が重要である。