抄録
本論文は,ナラティブ・アプローチと論理主義との関係を明らかに示すことを目的としている。特に,ブルーナーの取ったナラティブ・アプローチの重要性について,カーネマンとトヴァースキー,スタノヴィッチらの認知理論による(ナラティブに対する)否定的な評価に対抗する形で議論を展開している。ナラティブ・アプローチが意味の微妙な差異を把握する道具であるのに対して,認知理論は理性的な活動を同定する道具である。後者は,就 中 なかんずく,西欧の科学的言説に用いられる特化した形式論理(例えば,「かつ(and)」,「または(or)」で結合される厳密な論理式による表記)に意味を狭く限定してきた。それに対してナラティブ・アプローチは文脈を敏感に反映する豊かで開かれた意味を表現する優れた形式を維持しているのである。