本研究は、防災・減災において自明視されやすい「助」行為の問題について、東日本大震災時に流行した「絆」、そしてそれによって励起された共助を手掛かりとしながら、明らかとしたものである。「絆」は、あるシステムや集団の構成員が、相互に何らかの共存・共有を通して信頼関係を維持している状態を示す。そして「絆」は災害時、信頼関係の明示化を通して社会に支援の必要性を認識させるが、一方で政策的な用語として「助」行為を称揚する「お守り言葉」の位置を占めていた可能性をもっている。近世日本以来の共助は時代を越えて現代日本の社会関係にも大きく影響を与えており、とりわけ近年では自己責任論との接続のなかで、共助はむしろ人々を抑圧し、個人を希薄化させ、「助」行為による二次受傷の可能性、すなわち被傷性への想像力を喪失させるという側面を強めてきた。災害における「助」行為はそもそも被傷性を内在しており、その実践には慎重さが求められるはずだが、たとえば「絆」が
「お守り言葉」として権力者の価値体系を笠に着る時、それは一見して分かち合いとしての自助・共助を後押しする言葉のようでありながら、被傷性への想像力を覆い隠し、「助」行為の拡大と二次受傷へ自己責任論を適用する可能性をもつ。このような構造は現代における「助」行為がもつ危険性であり、社会の側で災害の記憶や経験の継承、防災教育などを通じた対策が求められる。