抄録
紀州徳川家の下屋敷であった湊御殿は屋敷構成の全貌が明らかではないが,明治時代初期に多くの建物が取り壊される中,一部,寺院や個人住宅に移築された。その遺構が和歌山県内に現存する。本稿では,遺構から室内意匠について検討する。
その結果,残された建物は数寄屋造風の箇所もみられるが,基本的には書院造りの格式的な造りである。柱には上質の栂材を使用し,襖や杉板戸に紀州藩のお抱え絵師による花鳥画などが描かれ室内を飾るものもある。床の間をはじめとした座敷飾りの質も高く,中には規模の大きなものもある。また,襖の引手などに紀州徳川家の葵の紋が付けられており,ゆかりの要素が随所にみられ,一般民家とは趣が大きく異なる。湊御殿の全貌が明らかではないために,各建物を特定するに至らないが,規模も室内意匠も違うために,湊御殿のなかでも異なる用途の建物であったと考えられる。