抄録
J.J. Gibson(1979)は,「画家にしても写真家にしても,自分が現実の場所やもの,人,出来事をまさに見ているという感じを,見る人に与えようとするべきではない.そんなことをする必要はないし,そうしようとしたところで,その努 力は失敗に終わるに違いない」と述べた.これは,いかに精巧であったとしても,自然の不変項のすべてを提示することはできないためであり,また,情報には限りがないからである.
むしろ開口視を強制されていない鑑賞者は,そこに提示されている何かについて知覚しながらその表面自体も知覚している.画像は光景でもあり表面でもあるのだ.Gibson はこれを二重性(Duality)と呼んだ.
さて,画家や写真家が「まさに見ているという感じを与えようとしている」のではないとすると,表現とは何に向かう活動なのか,また表現を鑑賞するものは何を体験しているのか.本シンポジウムでは,ギブソンの指摘する二重性を,表現の限界としてではなく,むしろ表現が発生する本質的な裂け目として積極的に 位置づけ議論を深めたい.