集団力学
Online ISSN : 2187-2872
ISSN-L : 2187-2872
日本語論文(英語抄録付)
中国の環境移民政策によって生まれた移民村の活性化運動
内モンゴル自治区正藍旗バインオーラ移民村の事例
蘇米雅
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キーワード: 生態移民, 移民村, 規範伝達
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2012 年 29 巻 p. 26-45

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抄録

 中国・内モンゴル自治区では、中央政府による生態移民政策が実施され、放牧地から移住した牧民は、移民村での生活を強いられている。生態移民政策は、放牧地域の砂漠化という生態的問題を、住民の移住という強制的手段によって解決しようとするものであったが、移住する牧民には、より豊かな生活を手にできるかもしれないという夢もあった。しかし、移民村で彼らを待ち受けていた現実は、より一層の経済的困窮とコミュニティの崩壊であった。筆者の生まれ故郷であり、家族が住んでいる村(バインオーラ・ガチャー)でも同政策が実施された。
 本論文では、バインオーラ・ガチャーにおいて、経済的困窮とコミュニティ崩壊を何とかしたいという願いから筆者が開始し、数名の若者とともに展開した地域活性化運動について、2005-2008 年の経緯を紹介する。バインオーラ・ガチャーでは、2002 年に生態移民政策が実施され、牧民は 30 キロ離れた移民村に移動、集住することになった。生業も、モンゴル牛数10 頭の放牧から、輸入ホルスタイン牛数頭の畜舎飼育に変化した。高価なホルスタイン牛の購入費は、借金として村民の肩にのしかかった。かつては自家消費に回していた牛乳も商品化され、生活のすべてが貨幣なしには成立しなくなった。また、牧民全員に集住が強いられたため、元の村の構成単位(ホトアイル)は壊され、近隣の結びつきは弱体化してしまった。
 まず、筆者は、バインオーラ・ガチャーよりも早く形成された移民村(オリック・ガチャー)で住民が始めた能動的な活動について紹介した。次いで、それに触発された数人の若者とともに、乳製品製造工場を立ち上げた。同工場は、地方政府の命令により閉鎖を余儀なくされたが、それにひるむことなく、移民村住民が搾った牛乳の集荷ステーションを設立した。また、テレビやラジオで、内モンゴル全体にわれわれの運動を発信し、見学者も来訪するようになった。さらに、大学からの実習生の受け入れも開始した。このような運動によって、移住前に存在していたコミュニティの絆が次第に復活しつつある。
 本論文の最後では、規範伝達の概念を用いて、筆者らの運動を自省した。能動的な規範をコミュニティの外部から内部に伝達すること、また、内部から外部へと伝達することが、コミュニティの活性化にとって重要であることを論じた。筆者自身についても、コミュニティの外部と内部の間の規範伝達の媒体として位置づけた。

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© 2012 公益財団法人 集団力学研究所
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