日本家庭科教育学会大会・例会・セミナー研究発表要旨集
第55回大会・2012例会
セッションID: A4-1
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第55回大会:口頭発表
占領下日本における高等学校家庭科教育の展開
既製型紙の導入による被服教育の改革
*柴 静子
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抄録

研究目的及び方法:本研究は、本学会第54回大会において発表した「占領下日本における家庭科教育ナショナル・リーダーのアメリカ視察」と関連深いものである。1950年2月から翌年の9月にかけて、断続的にアメリカに派遣された17名の家庭科教育のリーダーの中に、東京学芸大学助教授の渡辺ミチ氏がいた。渡辺が視察旅行者に選ばれたのは、CIE(民間情報教育局)のM.ウィリアムソンが「渡辺の専門は被服分野で、文部省の型紙委員会のメンバーである。彼女にはアメリカの洋服型紙の発行と普及について実際を見せたい。」と考えたからである。1951年4月、渡辺は、視察旅行の終着地でCIEに報告書を提出している。この中で、「マッコール社やシンプリシティ社など発達した米国の型紙産業のもとで、家庭科において既製の型紙が自在に使われている授業風景を目の当たりにし、わが国の被服教育においても既製型紙導入の研究が急がれる。」と記している。戦後の家庭科教育において注目すべきものの一つが、学校用の既製型紙の出現による被服教育の革新である。本研究は、高校の被服教育のターニングポイントとなった『わが国ではじめて作られたかり縫いのできる最新式型紙』が全国家庭科教育協会から発行されるまでの経緯と、その後の姿について明らかにすることを目的とした。研究方法は、日米の資料を使用した文献研究である。
研究結果:1.1949年7月から1951年6月までCIEの家政教育官として日本に滞在し、占領教育政策を策定したM.ウィリアムソンは、被服教育について、製作に膨大な時間をかけているにも拘わらず生徒の技能は上達していないと捉え、その主たる原因は、原型から型紙を製作させることに相当な時間を費やしているためである、と考えた。そこで、日本の学校でもアメリカのように既製型紙を普通に使用することが必要であり、そのための条件整備が緊急の政策課題であるとした。2.当時、高校の家庭科で使用できる既製型紙は数少なく、それも婦人用のサイズとデザインであった。そこでウィリアムソンは、型紙プロジェクトを発足させ、女子生徒用の既製型紙を作成させて、全国に普及させるという大がかりな被服教育改革計画を立てた。3.型紙プロジェクトは1949年9月に発足した。まず、ウィリアムソンが全国の家庭科指導主事や家庭科教師に協力依頼をして、女子生徒の採寸データを文部省に集めた。文部省内に型紙を作成するための委員会が結成され、委員が選定されたのは、採寸データがほぼ出そろった1950年8月のことであった。当時、被服分野で活躍していた成田順、渡辺ミチ、杉野芳子、原田茂に加えて、文部省の山本キクが委員に任命された。4.型紙委員会の製作した実物大既製型紙は、『わが国ではじめて作られたかり縫いのできる最新式型紙』として、1952年3月に全国家庭科教育協会から発行された。この型紙は、ブラウスが基本型など3種類、スカートがタイト、タック、6枚はぎ、フレヤーの4種類であり、「特大」・「大」・「中」・「小」の4サイズが準備されていた。5.『かり縫いのできる最新式型紙』は、1枚の大きなハトロン紙にパーツが印刷されており、裁ち切り線で切り取って、パーツを自分で作るようになっていた。虫ピンでパーツを合わせて仮縫いができ、補正もできるように、材質を柔軟かつ破れにくくしているという点で、アメリカのシンプリシティ社の型紙と酷似していた。6.1953年7月、『最新式型紙』は『かり縫いのできるZKK型紙』と名称変更され、ブラウス(A)とスカート(B)に加えてスリップ(J)まで、10種類が発行された。この型紙発行を受けて、1954年8月には全国家庭科教育協会編『ZKK型紙の活用法』が出版された。7.仮縫いはできるが一つのスタイルしか製作できないアメリカ式型紙は、高校家庭科が「一般家庭」から「家庭一般」に移行した時期に、婦人雑誌の附録につく実物大型紙に近いものに取って代わられた。1956(昭和31)年に全国家庭科教育協会から出版された新しい型紙『Z型紙』がそれである。8.占領下で生まれたアメリカ式型紙は、学校現場でそのままの形で長く使用されることはなかった。だが製作の時間短縮と簡便化を図り、手引書によって完成するまで導く、という被服教育改革の理念と方向を明示したことは評価したい。

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