抄録
【研究目的】
知識基盤社会といわれる今日、様々な情報から根拠を持ち意思決定することのできる力が求められている。楠見(2011)は「情報を鵜呑みにしないで判断する能力は、日常生活の実践を支える能力」とみなし、そのような能力を促す「批判的思考」に着目した。荒井(2009)は、批判的思考を「物事を偏見や思い込みにとらわれず論理的に考え、より良い解を求めようとする思考」と定義している。生活を題材とする家庭科における批判的思考力とは、生活の中の「当たり前」を問い直す思考であり、生活を客観視し多面的にとらえる中で、根拠を持って自分なりに考え判断することができる思考力である。それは、よりよい生活を創造するための具体的行動を促す力となるものとみなされよう。糟屋(2010)は、批判的思考力の重要な要素として、思考技能(解釈・分析・推論・説明など)や思考態度(探究心・柔軟性・他者の意見を尊重するなど)、目的意識(よりよい社会を構築するなど)があると述べている。さらに、目的意識を実現させるためには思考技能・思考態度が必要で、目的意識は批判的思考力の技能や態度を育成する上で重要だとみなした。 批判的思考力の育成に関して、木下ら(2011)は理科教育の観点から、「自ら思考の過程に対して意識的に吟味を行わせる場面を設定する必要がある」と述べており、授業の中で自分の思考過程を論理的に整理したり自分の思考過程を吟味する場面を意図的に行わせるような活動を取り入れる必要があると捉えている。以上の批判的思考に関する指摘を家庭科教育に当てはめて考えてみると、個々の児童・生徒の中に生じた生活事象に対する疑問や違和感をあえて授業の中で提起し、なぜそうなるのか、どのような背景のもとで生じていることなのかを分析的に吟味することを通して、生活に対する批判的な思考力が育まれるのではないかと考えた。 そこで本研究は、高校生が現代生活の課題について考える場面を設定した授業を提案し、授業分析を通して、家庭科における批判的思考力を育む授業実施上の留意点を明らかにすることを目的とする。
【研究方法】
平成24年2月に東京都下の私立大学附属男子校の高校1年生を対象に、高齢社会と福祉を題材にして2クラスで2時間の授業を実施した。1クラスではワークショップ形式を導入し、付箋を用いて現代の生活課題を整理し、各自の見解を問うという内容の授業を行った。他の1クラスでは、教師による説明を踏まえ、ワークシートに見解をまとめることにした。本研究ではワークショップ導入授業に着目し、グループ討論を経て生徒がどのような意思決定を行うことができたかについて考察する。
【結果および考察】
生徒の捉えた高齢期の問題点は、「年金」等の金銭面での生活の不自由さを指摘する意見に集中した。その一方で生徒は、「高齢者の孤独化」、「介護」、「地域とのつながり」、など様々な問題点を挙げていた。解決方法としては、「介護・医療の改善」、「施設・環境の整備」等の高齢者を直接支援する方法や、「子育て支援」のように高齢者に対する支援ではないが、間接的に高齢者の生活を守っていくような解決方法を提示していた。また解決方法を行う人(場所)をみると「国」や「政府」または「会社(企業)」といった意見が挙げられており、生徒は問題に対して社会全体で取り組むことであることを認識していると考えられた。授業を通して、生徒たちは高齢社会についての理解を深めることができた。しかし、自分たちは高齢社会を担う当事者であるという意識を生徒に喚起する上で課題が残った。それは、意見を表出し整理する作業にとどまり、自分たちの生活と関連付けて問題や解決方法を吟味するまでに至らなかったことに起因すると考えられる。生活事象に対する批判的思考力の育成に向けた今後の課題として、生徒がさらに思考を深めるための「問い」と自分と他者の考えを批判的にとらえることができる場面の設定を検討していきたい。