抄録
横浜の絹ハンカチは, 明治18年にアメリカへの大量輸出を開始している.ハンカチの地質は羽二重や縮緬で, 白および色無地, 木版捺染の模様, スカラップ, 刺繍のイニシャル入りなどの種類があった.これらは輸出用として生産されていたが, 国内では縁かがりの内職をする女性達にのみ使用されている.色とりどりのハンカチを首に巻いた彼女達は横浜で「ハンケチ女」と呼ばれていた.
19世紀末から20世紀初頭のアメリカでは新興貴族が富を蓄え, 東洋趣味が流行していた.日本の絹, お茶, 骨董品が珍重される風潮の中で, 比較的安価な日本製絹ハンカチは「Japanese Silk」を身につけ, 日本趣味を味わう上で, 手ごろな商品として広まっていった.
アメリカの男性は, 絹ハンカチをポケットチーフとして使用している。しかし1900年頃から, ハンカチの素材の主流は絹から麻へと移行し, 絹ハンカチは影をひそめていった.
一方当時のアメリカの女性は, 日常好んでスカーフを用いている.そうした中でフランスやドイツ, スペイン製のスカーフやフィシュに比べて安価であり, 薄地で大判であった日本製絹ハンカチは, 庶民の女性達の自然なおしゃれの中にとりいれられた.やがて1906年頃より女性用ネックウエアの広告に, 日本製クレープスカーフが登場している.こうして日本製絹ハンカチは絹スカーフへと名称を変えて生産を続け, 現在にまで至っているのである.