2022 年 6 巻 1 号 p. 61-74
2050年までに身体・脳・空間・時間の制約から解放された社会を実現するムーンショット目標1の研究開発が進められている。少子高齢化による労働生産性を向上するためや、災害などに強靭な生産性の維持、非効率ではあるが、安全・安心でゆとりのある生活が可能な未来社会を実現するために、実空間と仮想空間の両方をうまく使いこなすことができるサイバネティック・アバター(CA)と呼ぶアバターやロボットを研究開発する。仮想空間のCGアバターだけではなく、実空間のロボットやアバターのCAを遠隔操作することよって、人が身体的・認知・知覚能力を拡張・強化する。現在、一人の遠隔操作者が1体のロボットやアバターを動かすことが主流であるが、ムーンショット目標1では、遠隔操作者一人で複数体のCAを動かすことや、複数人の遠隔操作者で1体のCAを動かすことに着目する。このCAによる人間の能力拡張や強化が社会に受け入れられれば、誰もが社会活動に参画できるようになり、多様性を尊重するインクルーシブな社会の実現と経済の活性化に貢献できる。そのために、能力拡張・強化によって生まれる新たな格差を解消する技術課題や倫理、法制度などに関する制度課題も解決していく必要がある。複数体のCAを遠隔操作するためのコア技術の開発だけでなく、それが生体に及ぼす影響などの利用者の立場に立った研究開発も重要になる。セキュリティ対策では、CAのなりすまし・乗っ取り・技能模倣などに対処していける安全・安心を確保するための研究開発・制度課題がある。遠隔操作で、ジッタ(信号の時間的ずれや揺らぎ)や通信遅延・不通が起きた場合でも信頼性を確保するための研究開発・制度課題もある。メタバースの動向を見ても、一人1体のアバターを操作することが主流であるが、仮想空間に対して、まだ合意されたメタバースの定義はなく、現実的には、ヘッドマウントディスプレイを被る場合のメリットとデメリット(不快感や酔いなど)との妥協点が明確になっていないために、標準化の方向性が決まっていない。CAの開発でも、社会的、政治的、組織的な要因を考慮して、国際的な社会合意システムを形成し、多くの潜在利用者に事前に体験して制度的課題を解決していく「場」の形成が必要である。このような点を踏まえて、本解説では、ムーンショット目標1で開発中のCAにおける実・仮想空間CA基盤を概説し、将来の仮想空間の役割について議論する。
Moonshot Goal 1 is to realize a society free from the constraints of body, brain, space, and time by 2050. In order to improve labor productivity due to the declining birthrate and aging population, to maintain productivity that is resilient to disasters, etc., and to realize a future society that is inefficient but safe, secure, and comfortable, we develop avatars, robots and 3D CG that can successfully use both cyber and physical space, called cybernetic avatars (CA). By tele-operating the CAs, people can extend and enhance their physical, cognitive, and perceptual capabilities. Currently, one remote operator moves one robot or avatar, but Moonshot Goal 1 focuses on moving multiple CAs by a single remote operator or moving one CA by multiple remote operators. If the human enhancement with CA is accepted by society, everyone will be able to participate in social activities, contributing to the realization of an inclusive society that respects diversity and the revitalization of the economy. To this end, it is also necessary to solve technological issues to eliminate new disparities created by the human enhancement, as well as institutional issues related to ethics, legal systems, etc. We are developing the cyber-physical CA infrastructure to ensure safety and security that can deal with CA impersonation, hijacking, and skill imitation, and reliability in the event of jitter (time lag or fluctuation of signals) or communication delays or disconnections in remote operations. From the investigation in the Internet history and trends in the metaverse, in the development of CA, it is necessary to form an international social consensus system, taking into account social, political, and organizational factors, and to create a "place" where many potential users can experience the system in advance and resolve institutional issues. We will discuss the role of cyber space in the future.
未来社会を展望し、困難だが実現すれば大きなインパクトが期待される社会課題等を対象として、人々を魅了する野心的な目標、「ムーンショット目標」の研究開発が内閣府によって、進められている。Human Well-being(人々の幸福)を目指し、その基盤となる社会・環境・経済の諸課題を解決すべく、9つの目標が設定されている。その中で、著者はJSTムーンショット型研究開発事業の下で、ムーンショット目標1「2050 年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」 の研究開発を推進するプログラム・ディレクター(PD)を担当している。この目標1では、「サイバネティック・アバターCybernetic Avatar」(以後、CA)と呼ぶサイバー・フィジカル空間で自由自在に活躍する新しい概念が定義されている[1]。約30年後の2050年というかなり先の話を議論しているようにも見えるが、実は約30年前にインターネットが生まれて以来、仮想空間をどのように活用するかということに関して、本特集にあるような、社会・経済・法・倫理の課題が議論されていた。そこで、ここでは、2020年から始まった30年後の社会を見据えて研究開発が進みつつあるCAと呼ぶ新しい道具の実・仮想空間における今後の可能性を取り上げる。
2.では、人と機械の共生社会の歴史からなぜCAのような概念を考えなくてはいけなくなったか、仮想空間は我々の社会にどんな影響をもたらすのかを明らかにする。次に、3.では、ムーンショット目標1のプログラム・ディレクター(PD)の筆者が考える2050年の未来社会像を述べて、それを実現するために、今から、どんなことに注意して、CAを研究開発していくべきか、人文社会科学と情報学との融合をどのように図っていくべきかについて述べる。4.では、インターネットの運用や最近のメタバースの動向を踏まえてCAの研究開発において、研究開発課題とともに浮かび上がってくる社会制度課題について、どのように取り組むべきかの考え方を述べる。
なぜCAのような概念を考えなくてはいけなくなったかは、人と道具との共生の歴史にそのヒントがあるかもしれない。ホモサピエンスが道具を使い始めた時から現在まで人と道具との関係はあまり変わっていない。ホモサピエンスが自らの能力を拡張・強化するために、石器や動物の骨を利用した矢尻という道具を開発し、やがて青銅や鉄の文化を興した。18世紀の産業革命以降は、道具として、水蒸気や電気、自動車などの機械に進化した。ここで、機械とは「一般的に動力源とその動力を制御する機構をもつシステム」と定義される[2]。空間または時間の制約を解放するために乗り物(自動車、船、飛行機)、情報家電、コンピュータ、ファクトリー・オートメーション・システムが開発され、身体や脳の制約からの解放を目指して、ロボット、分子マシンなども開発されている。自らの能力を強化・拡張する人間強化human enhancement[3]に関する歴史からわかることは、人間の身体的能力または精神的な能力を強化するために、自らのトレーニングや人工的な方法で人体を改変する方法もあるが、21世紀に入り、機械やAIを用いて技術的に改変する方法が主流になりつつある。CAはこの技術的改変の1つの方法と言える。
20世紀に入ると大量生産の時代に入り、人為的に公害や環境汚染を引き起こすこともわかってきた。この中で、情報通信技術を中心とした能力拡張として、1990年代から始まった携帯電話やインターネットは、仕事だけでなく、商品の購入・宅配、旅行予約、趣味、スポーツなどの余暇の過ごし方も含めて日常生活で不可欠な道具となった。それまでの情報通信メディアに比べて、インターネットのいつでも、どこからでも定額料金となり、オフィス業務、学生、主婦、高齢者に至るまで幅広い世代での利用が可能になった。その後、携帯電話がスマートフォン(以後、スマホ)やクラウドネットワークに進化して、情報検索・発信・共有などの自らの体験を脳だけでなく、非生物的な外部記憶やクラウド上に残せる道具を持つことが可能になった。さらに、AI技術が進歩して、自分が今いる場所の天気の急変を知ること、災害時の危険を知ることもこれらの道具によって、可能になった。一方、サイバー(仮想)空間の利用が促進されたことによって、実生活における仕事や学校の人間関係などが原因で起きる精神的な苦痛、その状態から逃避しようとしても抜け出せない状態、昼間と深夜の区別がつかなくなるほど使い過ぎて、ネット依存症、ゲーム依存症などの精神疾患を引き起こすなど、程度も規模も今まで経験したこともない社会的課題も生まれてきた[4]。事件や犯罪に巻き込まれるきっかけになること、誹謗中傷やいじめの温床になることなどの深刻な事例も報告され、「賢く活用する知識・知恵」「ルールを守って使える健全な心」「安全に利用するための危機管理意識」を育むことが重要であることも指摘されている [4]。すなわち、インターネットやスマホという機械は、Well-beingを高めるために、日常生活の人間の活動能力を強化・拡張することに貢献しているだけでなく精神疾患やプライバシー、著作権、フィッシング詐欺、個人情報流出など様々な社会問題を引き起こす機械であることもわかってきた。
2020年からのCOVID-19による感染症は、マスクをつけての会話が義務付けられ、互いの物理的距離を離した日常生活を余儀なくされた。地球温暖化が進み、シベリアの永久凍土や氷河が世界各地で解け出し、太古に存在したウイルスが川や海に流れ出して、新たな感染症を引き起こす可能性も指摘されている。
これらの最近の状況を考慮して、2050年の未来社会に必要となるCAという道具が社会・経済環境に及ぼす影響を考える必要がある。特に、そのような想定外のリスクに対して、どのように社会全体でバランスよく対処していく仕組みを作っていくかが重要になってくる。
ムーンショット目標1は、社会領域「急進的イノベーションで少子高齢化時代を切り拓く」を実現するために、少子高齢化、労働人口減少、人生百年時代、一億総活躍社会などの課題を解決することが求められている[5]。少子高齢化が進展し労働力不足が懸念されるという社会的課題に対して、介護や育児をする必要がある人や高齢者、重い障害を抱えている人など、様々な背景や価値観を有する人々が、自らのライフスタイルに応じて多様な活動に参画できるようにすることを狙っている。
3.2.ムーンショット目標1のターゲットとサイバネティック・アバターの定義ムーンショット目標1では、次に示す2つのターゲットが設定されている。各ターゲットには2050年のターゲットとそれを満たすためにバックキャスティングした2030年頃のターゲットが示されている[6]。
3.2.1.ターゲット1:誰もが多様な社会活動に参画できるサイバネティック・アバター(CA)基盤ここで、サイバネティック・アバター(Cybernetic Avatar『登録商標第6523764号』)は、「身代わりとしてのロボットや3D映像等を示すアバターに加えて、人の身体的能力、認知能力及び知覚能力を拡張するICT 技術やロボット技術を含む概念。Society 5.0 時代のサイバー・フィジカル空間で自由自在に活躍するものを目指している。」と定義されている[1] 。
3.2.2.ターゲット2:サイバネティック・アバター(CA)生活CAの例を図1に示す。図1左図は、主婦または主夫が自宅で子育てをしながら、遠隔にあるロボットを操作して、お爺さんや子供を目的地に案内する仕事をする例である。CAの利用者は「遠隔操作者Tele-Operator(TO)」と「CAサービス利用者Service Users(SU)」の2種類に分類できる。この例では、遠隔操作者が相手にホスピタリティ豊かでモラルある対話と案内移動をアシストする。一方、お爺さんや子供はCAサービス利用者になる。このような対話行動サービスを行うCAの利用形態を、ここでは、「対話行動CA」と呼ぶことにする。これ以外にも自宅で介護と子育てを併用しながら、会社の仕事や学校の教鞭を遠隔地から行う場合も考えられ、対話行動CAから様々な新しい遠隔操作者の仕事が生まれる可能性がある。図1にあるようなヒューマノイド型ロボットを使う代わりに、場所や時間や状況に合わせて、最適なCA(例えばスマホ)を選べるというバリエーションもあって良い。
ターゲット1に関連して、図2に示すように、一人の遠隔操作者(TO)がN体のCAを同時に操作できるかの1×N遠隔制御技術を研究開発する。当然、遠隔操作者の操作スキルと意図に合った各CAの遠隔・自律分担操作性(複数体の制御中に遠隔操作と自律操作との切り替えがスムーズに分担操作できる性能)が重要なコア技術になってくる。一方、図1の右図は、自らの能力では、なかなか身につけることが難しい技能や体験を他の遠隔操作者と共有するCAを利用することで、F1レーサー、シェフ、電気工事士などになって、皆で新しい技能や体験を共有するCAサービスの可能性がある。このCAを、ここでは、「体験共有CA」と呼ぶ。図3に示すように、M人の遠隔操作者(TO)が1体のCAを操作して、互いの技能や経験を共有できるM×1遠隔制御技術が重要になってくる。この場合に、M人の遠隔操作者間で互いに技能共有に合意していることが前提条件になる。M×1遠隔制御においても、M人の遠隔操作者(TO)間で技能を向上する新しいトレーニング、リスキリング、アップスキリングなどの様々なサービスが生まれる可能性がある。これによって、CAサービス利用者側にも今までにない仕事やサービスを体験できる可能性が出てくる。身体的な制約を解放できれば、クラウド上の様々な技能や経験を利用して技を研き、常人を超えた能力で様々な仕事や社会活動に参画できるようになる。例えば、遠隔からCAを操作して、実空間のアスリートとチームを組んで、相手と対戦するサイバー・フィジカルスポーツと呼ぶ新しいスポーツジャンルが生まれる可能性もある。
さらに、対話行動CAや体験共有CAを利用できない人に対して、脳で思い通りに操作できるCAを、ここでは「思い通り操作CA」と呼ぶことにする。自らのライフスタイルに応じて多様な社会活動に参画できるようにする究極の思い通り操作CAとして、BMI-CA(BMI:Brain Machine Interface)を用いて、頭の中で考えれば、対話行動CAや体験共有CAの両方を脳で思い通りに操作できる「思い通り操作CA」を研究開発する。これら3種類のCA研究開発の重要なポイントとして、ターゲット2に「社会通念を踏まえた新しい生活様式を提案する」と記載されている。人間と機械の共生の歴史に立ちかえることとその時々の社会・環境・経済状況を十分に考慮して、2050年頃の社会に望まれる社会通念や社会的規範とは何かを解決していく必要がある。

図1 ムーンショット目標1:「空間、時間」、「身体」、「脳」の制約から解放するためのサイバネティック・アバターの3つの研究開発テーマ「対話行動」「体験共有」「思い通り操作」[1]

図2. 一人の遠隔操作者がN体のCAを操作する1×Nの場合

図3. M人の遠隔操作者が1体のCAを操作するM×1の場合
PDは、目標1に関する2050年の社会像は、CAを研究開発することによって、次の3つの社会課題を解決することをめざす。
3.4.1.社会課題1:生産性向上我が国の少子高齢化が進んでも、人間の能力を拡張する技術革新(CA)によって生産性を向上し、労働力不足の問題を解決し、誰もが2050年に安全安心にクリエイティブな仕事や社会活動に参加して生きて行ける社会を実現する。
3.4.2.社会課題2:強靭な生産性維持ただし、世界の人口が100億人に増えることも考慮して、CAと共生して人間が能力拡張することが、人為的も含めた地球環境の変化によって起きる災害や感染症などに強靭な生産性維持することに役立つ社会を実現する。
3.4.3.社会課題3:安全安心とゆとりある日常生活CAが安全安心で健康な日常生活を維持することにも役立ち、生産性の効率だけで生まれる物質的な豊かさだけでなく、余暇や非効率などの精神的な豊かさ、ゆとりとのバランスを保つことにも役立つ社会を実現する。
3.5.社会課題を解決するプログラム研究開発体制各社会的課題に対して、「人の身体、脳、空間、時間の制約から解放する」という視点から、「空間、時間の制約からの解放」「身体の制約からの解放」「脳の制約からの解放」の3種類に分類してターゲットユーザを分担して開発することと、ターゲット2の「社会通念を踏まえた新しいCA生活様式を提案する」を意識して、社会受容性に重点を置いた研究体制を構築した。表1に示すように個人や集団向けのソシオCAに3名(石黒・南澤・金井PM)、体内CAに2名(新井・山西PM)、社会受容基盤構築に2名(新保・松村PM)、合計7名のプロジェクトマネージャー(PM)からなる[1]。表1は、ソシオCAと体内CAが各社会課題をどのように解決し、社会受容基盤の研究開発がそれらを横断的に支援する体制を示す。ソシオCAとは、個人と集団が利用するCAで、上記の対話行動CA(石黒PM担当)、体験共有CA(南澤PM担当)、思い通り操作CA(金井PM)からなる。

表1. 3つの社会課題に挑戦するプログラム研究開発体制
CAは実・仮想空間を扱うが、ここでは、仮想空間の役割と社会・経済・法・倫理の課題を議論する。まず、CA基盤はCAの遠隔操作が基本操作となるために、クラウドを中心にしたネットワーク基盤を構築する必要がある。ネットワーク基盤構築には、インターネット創設から現在までに至るインターネットの運用の歴史から学ぶことも多い。一方、メタバースの最新動向から現状の仮想空間の課題を整理することも重要である。CAの研究開発では、石黒PMらのELSI担当の課題推進者がCA特有の倫理的・法的な課題について、人工知能学会誌2021年9月号に特集した[14-16]。ここでは、これらを概説して、今後のCA研究開発の進め方を整理する。
4.1.インターネットの運用から学ぶことインターネットと混同されるべきではないが、サイバースペース(仮想空間)という用語は主に通信ネットワーク自体の中に存在するオブジェクトやアイデンティティを指すためによく使われる[7]。しかしながら、インターネットがこれまで培ってきた成果は実仮想空間CA基盤を構築するための基本的な進め方に様々なTipsやヒントを与えてくれる[8]。
4.1.1.アーキテクチャの設計思想を明確にすることが極めて重要[8]アーキテクチャによって、複雑なコンピュータシステムを抽象化し、その基本構成を示し、各構成要素の役割や機能を明示する。それぞれの要素技術が自由に発展・開発していけるように、どの部分を共通化・固定化し、それ以外を自由にするか、その線引きが極めて重要になるという。
共通化インタフェースもアーキテクチャがあってはじめて定まり、標準化できる。米国国立標準技術研究所 (NIST, National Institute of Standards and Technology)や欧州電気通信標準化機構(ESTI,European Telecommunications Standards Institute)でも設計思想を明確にする研究を重視しているという。
発展の制約となりうる要素を排除することも大事である。アーキテクチャが固定されて問題になったのがIPv4アドレスで、約40億のアドレス空間であったため世界の人口に足りなかった。そこで、40億倍のアドレス空間を持つIPv6へと移行中になっている。
4.1.2.標準化団体の運営方針と運用について[8]インターネットの標準化を行う任意団体であるIETF(Internet Engineering Task Force)は1986年に設立され、標準ドキュメント、メーリングリストでの議論などの記録、参加はすべてオープンで、参加者は個人の資格で参加し発言できる環境を整えた。
このような運営に至った経緯として、1992年に、技術的にアドレスの枯渇や意思決定プロセスに対する不満が出てきて、組織の分裂の危機にあった。その状況から脱するために、IETF のモットーである「rough consensus and running code」に基づいて、投票ではなくコンセンサスによる意思決定プロセスと、実際に動いているコードを信用するという独自の文化を創り上げて、IETFの技術者による実用的な標準化プロセスのあるべき形を示し、組織のまとまりを取り戻したという。
4.1.3.設計原理とエンドツーエンドの原則[8]設計原理はベストエフォートで、「完璧でなくてもできるだけ頑張る、できない時はゴメンする、まわりがカバーするから大丈夫」という方式がうまく動くことを理論と実装で示した。ネットワークはベストエフォートなパケット配送だけを提供し、インテリジェントな機能は端末側に持たせるべきだとし、ユーザが新しいアプリケーションを自由に導入できるようにした。
通信事業者が特定のサービスやコンテンツを制限あるいは優遇すると、ロックイン効果で自由にサービスが生まれ育つインターネットの良さを損なうので、そのような差別化を規制すべきという。
4.1.4.経済的なインセンティブも組み込むこと[8]単に技術面が優れているだけでは普及しない。成功した技術には経済的なインセンティブが組み込まれている。Web が急速に普及したのは、ユーザが無償のブラウザをインストールするだけで簡単に利用可能だったことが大きい。
たくさんのユーザが使うほどに検索結果の品質が向上するフィードバックの仕組みと、ユーザの志向に合ったオンライン広告を出したい広告主とを組み合わせるビジネスモデルが上手くいった原因だという。一方、経済的なインセンティブに繋がらなかったものもある。インターネットでは、IPマルチキャスト、QoS 制御、モバイル IP などが挙げられる。それ以外に、商業利用が増え続け、知的財産保護やプライバシーへの配慮で透明性も低下したにもかかわらず、セキュリティ対策は後付けになったまま今日に至っているという。
4.1.5.オープンな文化と透明性のある自由な発展とセキュリティ対策の両立[8]インターネットでは①環境変化で生じている問題や不便を発見して共有する、②改善のアイデアを交換し試してみて、その結果と学びを共有する、③これらのサイクルを回す、これらができることが欠かせない条件だという。
実際、インターネットでも自由と多様性を容認するアーキテクチャが乱用され、迷惑メール、マルウェア、フェイクニュースなどがはびこる原因となっているが、問題が起こること自体は必ずしも悪いことではなく、問題の発見はチャレンジの種であるともいう。
4.1.6.技術と制度を組み合わせた解決を探るべき[8]インターネットのセキュリティ問題の対処策として、最初から悪用防止を優先していたら、自由な発展もない。バランスの取り方は難しく、正解はない。全体を見れば性善説でシステムを作ることは間違っていないが、長い目で見れば悪用が得にならないように歯止めの制度を設けるなど、技術課題と制度課題を組み合わせた解決を探るべきだという。技術と制度を繋ぐために、まず必要なのが ID とトラストの設計で、現実空間の「人」を仮想空間にどう関係づけ、そのためにどのようなIDとトラストの仕組みが必要かを明確にすることが課題だと述べている。
4.2.メタバースの動向から学ぶこと仮想空間としてのメタバースはその立ち上げ期であり、様々な障壁があることも明らかになりつつある。
4.2.1.メタバースという新市場を立ち上げようとする動きメタバースを創造し統治するための実行可能な戦略を開発し共有するDefining and Building the Metaverseが、世界有数のマルチステークホルダー・イニシアチブとして2022年5月25日のダボス会議で発表された[9] 。このイニシアチブは、企業、市民社会、学界、規制当局を含む民間および公共部門の組織を巻き込み、メタバースの定義も含めて倫理的かつ包括的なメタバースの作成方法に関するガイダンスを提供する。メタバース・ガバナンスと経済的・社会的価値の創造という2つの主要分野に焦点を当て、規制の枠組み、技術の選択、経済的機会に関するテーマを探求していくという。ただ、「メタバース」という用語が実際に何を意味し、何を包含しているのかをメタバースを構築する企業のリーダーが理解しているわけではないということも指摘している。
一方、2022年6月21日にメタバース標準化フォーラムThe Metaverse Standards Forum(MSF)が設立された[10]。仮想現実、拡張現実、画像処理などの技術に関するロイヤリティフリーの標準を開発するソフトウェアコンソーシアムであるクロノス・グループによって組織されている。
MSFは標準化団体ではなく、Google、Meta、Microsoftなど、仮想世界の創造、管理、維持に必要な技術を利用する商業的メタバースの大手と、それらの技術を定義する標準化団体との間の調整と信頼を改善する連絡役であるという[10]。ここでも、相互運用可能な3Dアセット、ユーザーID、拡張現実およびバーチャルリアリティ、ユーザーインターフェイスなどの技術的な課題だけでなく、メタバース倫理、プライバシーとガバナンス、教育と認証など、より広範な課題にも焦点が当てられている。この中で、オープンな標準が、相互運用性を高める共有基盤を作るのに必要になるという。
4.2.2.将来的に、異種デバイス間の共有体験に繋がってほしいメタバースは、製造ラインの生産性と効率を高め、軍事訓練を強化し、拡張手術室内でリアルタイムのビジュアルデータを提供する機会を提供するが、多くの拡張現実(XR)体験は、シングルユーザー、シングルプラットフォームで運用している。ツール、ライブラリ、プラットフォームが成熟すれば、異種デバイス間でメタバースにおける共有体験が可能になり、様々な働き方を革新するために必要なものとなるだろうが相当時間がかかると予想している[10]。
4.2.3.プライバシーとデータ保護がさらに重要になるメタバースでは、プライバシーとデータ保護が現在よりもさらに重要になるが、権利を守り、いじめや疎外、破壊的な行為、差別を捉えて規制するための技術的・社会的手段を提供することは容易ではないとも言われている。国境などを超えるために、金融取引も管理・規制する必要があることを述べている[10]。
4.2.4.メタバースは包括的なパブリックコモンズであるメタバースという常時接続の仮想空間が、今日の町の広場や公園と同様に支援・規制されなければならない重要な公共スペースであることを認識し、包括的なパブリックコモンズを作成する基本ルールを確立しなければならないという[10]。もし監視目的で行動を見る広告がウェブから、あなたの話や動きを記録している3D空間へと拡張されれば、文明は破綻する可能性が高い。これを防ぐには、プライバシーを保護し、多くの種類の広告ビジネスモデルを禁止することに集団で同意しなければならない。それゆえ、メタバースという仮想空間は人々、企業、政府が一緒になって創るべきであると指摘している。
4.2.5.メタバースはまだ発展途上の段階で統一された製品が出るのは10年先かメタバースは、物理的に同じ空間にいない他の人々と創造し、探索することができる一連の仮想空間であり、一企業が単独で構築できる製品ではない。製品の多くは、今後10年ほどの間にしか完全に実現されないだろうし、どのように構築されるべきか、難しい問いを投げかける時間が必要であるという。長期的なビジョンとして、職業訓練、教育、医療、そしてクリエイターの生態系における新しいキャリアに機会を与える可能性を秘めているという。メタバースがスケールするまでには、何年にもわたる投資が必要で、人々、企業、政府が一緒になって取り組むことが必要である。民間企業、法律家、市民社会、学界、そして最も重要なのは、これらの技術を使用する人々が協力の精神で、オープンに開発されるべきであるという[10]。
4.2.6.メタバースはSecond Lifeから何を学ぶか?[13]2003年以来、人々はSecond Lifeというオンラインの世界に集まり, Second Life には目標やゴールはない。その代わり、ユーザーは自分を表すデジタルアバターを作成し、自由に世界を探索し、他のユーザーと出会い、独自のデジタルコンテンツを作成し、さらに世界内通貨であるリンデンドルで商品やサービスを取引することができる。セカンドライフは今でも年間6億5千万ドルの取引があり、100万人が使っているが、10億人にはならなかったという。
4.2.7.より多くのメインストリームユーザーに試してもらうためには?メタバースプラットフォームを使用する時の第一印象は非常に重要で、「セットアップ」と「探索」の段階で多くのフラストレーション(顔が熱くなるような現在のかさばるヘッドセットや吐き気やめまいなどを経験する等)に直面すると、すぐに熱意を失ってしまうという[10]。それをクリアしたら、次は、何度も使いたくなるリピート利用の理由を必要とする。課金やアップグレードを求める通知が頻繁に来ると2度と使ってくれないという。
現状メタバースは、通常業務で必要となるすべてのアプリに簡単にアクセスできないために、本格的な仕事をするのに最適な場所ではない。ソフトウェアはかなり不便である。
VRメタバースは、ゲームやショッピングのような「短時間の活動」に限定されるという声もある[12]。
一方、「トークン・システム」や仮想通貨の世界でお金を稼ぐことができる「プレイ・トゥ・アーンゲーム」を採用したアプリケーションは、多くの注目を集め、ベンチャーキャピタルの資金を集めているという[10]。
メタバースの用途は、代替オフィス空間、没入型トレーニングの場、社員のたまり場という3つの機能カテゴリーに大きく分類される[10]。
4.3.今後のCA研究開発の進め方CAの研究開発では、前述したように、石黒PMらのELSI担当の課題推進者がCA特有の倫理的・法的な課題について、すでに、人工知能学会誌2021年9月号にまとめている[14-16]。これに、4.1 及び4.2の動向を加えて、CAにおける実・仮想空間の役割と社会・経済・法・倫理の課題を次のように整理する。
4.3.1.CA基盤の構築には、アーキテクチャの設計思想を明確にすることが極めて重要具体的には、複雑なコンピュータシステムを抽象化し、その基本構成を示し、各構成要素の役割や機能を明示する。それぞれの要素技術が自由に発展・開発していけるように、どの部分を共通化・固定化し、それ以外を自由にするか、その線引きが極めて重要になる。
4.3.2.次に、共通化のインタフェースを標準化する表1に示したように様々なCAが開発され、それが市場に導入される時期も種類によって異なる。石黒PMや南澤PMはプロジェクト内にコンソーシアムを設立済みであるが、標準化の進め方はできるだけ多くのステイクホールダーの意見を反映すべきで、メタバースの動きのように、既存の複数の標準化団体との橋渡し機能も大事であるかもしれない。意思決定プロセスに対する不満が出て来ないように実用的な標準化プロセスのあるべき形を示すべきである。現在、OMG(Object Management Group)への標準化活動が開始されている[17]。
4.3.3.インテリジェントな機能は端末側に持たせ、設計原理はベストエフォートでCAの利用形態は図1〜3に代表される「遠隔操作者」「CA」「サービス利用者」の3つの関係を考慮した標準化を進める必要がある。遠隔からの操作が基本であり、仮想空間と実空間の両方でCAの移動を想定するために、無線通信が主体となるが、不通になることも想定した設計が必要となる。有線・無線通信を前提にしたアーキテクチャを考えているが、これらが全て不通になる場合やジッタ(時間軸方向での信号波形の揺らぎ)や遅延が起こる場合の対処策として、CAが自律的に尤もらしい行動を取れる機能も搭載しておく必要がある。これら遠隔操作の信頼性を確保する研究開発は松村PMが担当する(表1)。
4.3.4.経済的なインセンティブも組み込むことCAは実証実験の段階から、上記コンソーシアムの会員企業が実験に参加して、経済的な効果を検証している[18-19]。
4.3.5.研究開発課題と制度課題を組み合わせた解決を探る新保PM及び松村PMはムーンショット目標1全体の社会受容基盤を担当し、他のPMの成果も踏まえて、新たに起きる研究開発課題と制度課題を取りまとめ、国内外に提言や意見交換の場を提供できる体制を構築する。
4.3.6.プライバシーとデータ保護がさらに重要になるCAでは、インターネットやメタバースと同様にプライバシーとデータ保護がさらに重要になる。
CAのなりすまし、乗っ取り、技能模倣などのCA特有の課題について、石黒PM、南澤PM、金井PMと新保PMが連携する。特に、新保PMはムーンショット目標1の社会受容基盤を担当し、インターネットの場合と同様に、オープンな文化と透明性のある自由な発展とセキュリティ対策の両立のために、安全・安心確保基盤を担当する。
なりすましの問題はCAの匿名性に関する問題であり、認証制度のような事前の対策とデータベースへの登録や監視・罰則といった事後対策の制定の必要になるかもしれない[16]。一方、特定の個人を識別可能なアバターとして利用する場合と、本人が誰であるかアバター本体からは特定することができない場合についても議論が始まっている[15]。
CAを用いて、知覚・運動能力を拡張し、 姿形も魅力的なものに自在に変えられる。このような人間拡張により引き起こされる可能性のある心理的問題、法的・社会的問題も重要になる[14]。
本解説では、ムーンショット目標1で開発中のCAにおける実・仮想空間CA基盤を概説し、将来の仮想空間の役割について議論した。2050年までに身体・脳・空間・時間の制約から解放された社会を実現するムーンショット目標1の研究開発を概説し、少子高齢化時代の労働生産性を向上すること、災害などに強靭な生産性の維持すること、非効率ではあるが、安全・安心でゆとりのある生活を実現できる未来社会を実現することの重要性を述べた。次に、実空間と仮想空間の両方をうまく使いこなすことができるサイバネティック・アバター(CA)と呼ぶアバターやロボットを7名のプロジェクトマネージャーが課題を分担して、研究開発体制を構成していることを述べた。現在、一人の遠隔操作者が1体のロボットやアバターを動かすことが主流であるが、ムーンショット目標1では、個人や集団に対するCAサービスを提供する「ソシオCA」と生体内や細胞内を遠隔から見守る「体内CA」について、遠隔操作者一人で複数体のCAを動かすことや、複数人の遠隔操作者で1体のCAを動かすことに着目する。同時に、社会受容基盤の重要性を述べた。特に、仮想空間のCGアバターだけではなく、実空間のロボットやアバターのCAを遠隔操作することよって、人が身体的・認知・知覚能力を拡張・強化する。能力拡張・強化によって生まれる新たな格差を解消する技術課題や倫理、法制度などに関する制度課題も解決していく必要があるため社会受容基盤の研究開発が重要であることを述べた。これら一連の倫理、法制度などに関する制度課題も解決していくための歴史的な事例として、インターネットの研究開発・制度課題を全世界でまとめて行った事実と最近のメタバースの動きの中からヒントとなるTipsを挙げ、今後のムーンショット目標1の研究課題及び倫理、法制度などに関する制度課題の解決策について考え方を述べた。社会的、政治的、組織的な要因を考慮して、国際的な社会合意システムを形成し、多くの潜在利用者に事前に体験して制度的課題を解決していく「場」の形成が必要である。このような点を踏まえて、本解説では、ムーンショット目標1で開発中のCAにおける実・仮想空間CA基盤を概説し、将来の仮想空間の役割について議論した。
1 大阪芸術大学 教授